李璬

潁王李璬 りきょう

718-783
盛唐の宗室。玄宗の第十三皇子。母は高才人。初名は李澐。開元十三年(725)潁王に封ぜられ、開元十五年(727)安東都護、平盧軍節度大使となる(遥任)。開元二十三年(735)開府儀同三司となり、李璬と改名した。天宝十五載(756)安史の乱がおこって玄宗が蜀に到着すると、蜀郡大都督、剣南節度大使に任じられた。しかし崔円に恨まれて解任された。粛宗のもとに派遣され、共に長安に戻った。建中四年(783)薨。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 潁王璬
『旧唐書』巻一百七 列伝第五十七 玄宗諸子 潁王璬

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最終更新:2024年12月23日 21:06
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