王賢妃
?-846
中唐の妃嬪。
武宗の寵姫。邯鄲の人。歌舞をよくし、年十三歳で宮中に入り、
穆宗が潁王であった
武宗に賜った。聡明な人物で、武宗の即位には、密かに計画を助け、そのため才人となり、武宗の寵愛を得た。武宗とは男装で狩猟を常に共にしており、また背格好が武宗に似ていたから、見る者はどちらが武宗かわかららなかったという。武宗は皇后に冊立しようとしたが、宰相の
李徳裕の反対で沙汰止みとなった。
武宗が丹薬が原因で崩御すると、ただちに殉死した。
宣宗によって賢妃を追贈され、武宗の
端陵に陪葬された唯一の人物となった。『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年01月17日 22:44