李炎
814-846
唐第18代の皇帝(在位840-846)。姓名は李瀍、のち炎。諡は至道昭粛孝皇帝。廟号は武宗。祖父は
憲宗。
穆宗の第5子。母は
宣懿皇太后韋氏。821年穎王に封ぜられ、20才余りで開府儀同三司検校吏部尚書となった。840年、兄
文宗の臨終が迫ると、左右神策軍護軍中尉の宦官
魚弘志・
仇士良らが潁王の擁立をはかり、皇太子であった兄
敬宗の子陳王
李成美を廃し、帝の柩前で即位。前朝の排するところであった
李徳裕を都に迎えて宰相に任じ、もっぱらその一派が施政を牛耳るにいたった。一方、北辺に侵入したウイグルに対しても、その内部分裂の衰勢に乗じて積極的討伐に転じ、843年には
劉沔らが大いにこれを破り、
太和長公主を迎え帰ることができた。帝は道術を尊び道士趙帰真らを重用し、845年秋には大規模な廃仏を断行し、天下の寺4,600余をこわし、26万余人の僧尼を還俗させて担税戸とした。翌年33才のとき服薬中毒で意識を失い、
宣宗を擁立する勢力にとってかわられた。5男7女があった。陵名は
端陵。
年号
会昌 841-846
后妃
淑妃王氏
賢妃劉氏
王賢妃
昭儀呉氏
昭儀沈氏
修儀董氏
婕妤張氏
婕妤趙氏
子女
宰相
本紀
参考文献
『アジア歴史事典8』(平凡社,1961年)
外部リンク
最終更新:2025年06月24日 12:57