天宮寺
洛陽、
尚善坊に位置した寺院。「魏書釈老志」によると、北魏のときに天宮寺に釈迦立像をつくり、高さ43尺、銅10万斤、黄金600斤を用いたという。貞観六年(632)
高祖の邸宅地であったのを詔して天宮寺とした。ここに北宗禅の神秀が住した。龍朔元年(661)六月、
高宗がここに行幸し、僧二十人を得度させた。長寿年間(692-694)、天宮寺の泥像がすべて汗を流した。後唐の応順元年(934)潞王(後の明帝)が挙兵して閔帝が逃亡すると、宰相の馮道は天宮寺に百官を集めて潞王を迎えようとした。
志・史料
『新唐書』
巻三十五 志第二十五 五行二 土為変怪
『魏書』巻一百一十四 釈老志十第二十 釈
『旧唐書』巻四 紀第四 高宗上 龍朔元年九月甲辰条
『新五代史』巻五十四 雑伝第四十二 盧導
『唐会要』巻四十八 議釈教下 寺
『仏祖統紀』巻三十九 法運通塞志之六 唐 太宗 貞観六年条
『太平広記』巻第二百一十二 画三 呉道玄
外部リンク
最終更新:2025年02月14日 12:36