薛大鼎 せつだいてい
?-654
初唐の官人。字は重臣。蒲州汾陰県の人。父の薛粋は隋の介州長史であったが、漢王楊諒に連座して誅殺され、薛大鼎は助命されて官奴となって辰州に流された。戦功によって帰還した。
高祖が挙兵すると策を説いたが受け入れられず、大将軍府
察非掾を授けられた。山南道副大使となり、また
李孝恭に従軍して饒州道軍師となって転戦して軍功をあげた。浩州刺史となると善政により
鄭徳本・
賈敦頤と並んで「鐺脚(徳政)刺史」と称された。銀青光禄大夫、行荊州大都督長史となった。子に
薛克構・
薛克勤がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年05月06日 23:35