道術坊
洛陽の坊名。東に恵訓坊、南は勧善坊、北は洛水が位置する。
煬帝が洛陽新城の造営に並行して、五行・占候・卜筮・医薬の技芸ある者を洛陽に集め、居住させた坊。貞観年間(623-649)に坊地を魏王
李泰に邸宅地として恵訓坊と合わせて与えられた。この坊に
魏王池があったともいうが、あるいは
旌善坊と
尚善坊の間であるともいわれる。李泰が死ぬと道術坊を立てたが、神龍年間(707-710)に恵訓坊と併合されて
長寧公主の邸宅地となった。開元年間(713-741)初頭に再度分坊された。
参考文献
徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
最終更新:2025年06月16日 01:40