徐元慶 じょげんけい
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武周の人。下邽県(陝西省渭南県北)の人。徐爽の子。父が下邽県尉の趙師韞に殺害されると、徐元慶は姓名を変えて駅家保となった。趙師韞が御史大夫として亭に泊まると殺害し、官に出頭した。
武則天は死罪を赦したいと思ったが、左拾遺の
陳子昂による、父の為に復讐するのは孝子として当然の行為で、礼経が是認する所であり、奨励すべきものであるが、殺人が死刑であるのは古今を通じた刑法の原則であるから、徐元慶を死刑に処して国法を正し、その門閭や墓所に表彰して礼教を奨めるべきであるという意見が採用され、処刑された。
列伝・史料
最終更新:2025年06月17日 12:29