崔神慶 さいしんけい
634頃-705
盛唐の官人。唐代に「七姓十家」と称された名門・清河崔氏の分家・南祖崔氏の出。
崔義玄の子。
武則天の宰相
崔神基の弟。
崔琳・
崔珪・
崔瑤の父。明経科に貢挙し、
武則天の時、累進して莱州刺史、億歳殿待制を歴任。父
崔義玄が武則天の立后に功績があったから、武則天の故郷である并州長史に抜擢された。兄の崔神基が下獄すると、都に急行して弁護したため、兄の死罪は免れたが、自身は歙州司馬に貶された。礼部侍郎、太子右庶子、東宮侍読となったが、司刑卿に就任していた時、
張昌宗に対する弾劾に手心を加えたため、張昌宗が誅殺されると欽州に流されて卒した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年06月22日 02:53