祝欽明 しゅくきんめい
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武周・盛唐の官人・儒者。
中宗の宰相(在任705-706)。字は文思。京兆始平県の人。
祝綝の子。明経化を経て東台典儀となり、永淳・天授年間(682-692)に英才傑出科・業奥六経科に合格し、著作郎、太子率更令を歴任した。当時皇太子であった
中宗の侍読となり、
弘文館学士となった。神龍元年(705)正月、中宗が復位すると国子祭酒・同中書門下三品(宰相)に抜擢された。同年四月には守刑部尚書、魯国公となった。翌年八月、親の忌日を秘匿したから、宰相を罷免されて申州刺史に貶された。景龍三年(709)、郊祀の際に
韋后に迎合して亜献とするよう奏上した。
睿宗が即位すると弾劾されて饒州刺史に貶され、後に洪州都督、崇文館学士となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年06月28日 01:54