段嶷 だんぎ
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中唐の官人。『新唐書』では
段秀実の孫とするが、「段文楚墓誌」によると子。大和四年(830)鄭滑節度使(義成軍節度使)に任じられ、任期満了して右金吾衛大将軍となり、西平郡公に封ぜられた。大和九年(855)甘露の変で、段嶷は誅殺されるところであったが、
裴度が忠臣の後裔であるから死刑を免じられるべきであると奏上したから、死罪を免れて循州司馬に貶された。後に検校礼部尚書兼御史大夫となり、卒して太尉を追贈された。子に
段文楚がいる。『新唐書』に伝がある。
列伝・史料
『新唐書』
巻一百五十三 列伝第七十八 段秀実 嶷
「唐故大同軍防禦使金紫光禄大夫検校吏部尚書兼御史大夫上柱国武威郡開国伯食邑七百戸段公墓誌銘並序」
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最終更新:2025年07月25日 23:56