趙光逢 ちょうこうほう
?-928
唐末・五代の官人。後梁の宰相(909-915)。字は延吉。
趙植の曾孫でその世系は趙植→
趙存約→
趙隠→趙光逢である。
趙光裔の兄。
僖宗の時、乾符五年進士に及第し、尚書左丞、翰林承旨、太常博士、礼部・司勲・吏部の三員外郎・
集賢殿学士、礼部郎中を歴任し、祠部郎中、知制誥、翰林学士、中書舎人、戸部侍郎、兵部侍郎、尚書左丞を歴任した。
崔隠が宦官と争うと、洛陽に隠遁。門弟の
柳璨が登用されると、吏部侍郎、太常卿に任じられた。後梁が成立すると中書侍郎、平章事(宰相)となる。末帝の時に司空、平章事に任じられ、司徒致仕、守司空致仕となった。『旧唐書』『旧五代史』『新五代史』に伝がある。
列伝
『旧唐書』巻一百七十八 列伝第一百二十八 趙隠 子光逢
『旧五代史』巻五十八 唐書三十四 列伝第十 趙光逢
『新五代史』巻三十五 唐六臣伝第二十三 趙光逢
外部リンク
最終更新:2025年12月12日 22:55