柳璨 りゅうさん
?-906
唐末の宰相(在任904-905)。字は炤之、河東郡(山西省永済市)の人。曽祖父は柳子華、祖父は柳公器、父は柳仲遵。
柳公綽、
柳公権は曽祖父楊子華の弟柳子温の子。名族の河東柳氏の出身であるが、幼い頃は孤児で、苦学して学をなし、『史通析微』を著し、仕官すると
昭宗に見いだされて、宰相
崔胤が処刑されると、仕官してわずか四年で宰相に大抜擢された。その経緯のため旧臣に疎んじられ、
朱全忠と結んで大臣を大量処刑した白馬の禍に関わった。
王殷に誣告され、朱全忠によって処刑された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年01月28日 00:54