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翰林学士院

翰林学士院

長安、大明宮外西の西夾城内に位置した詔書の起草に当たった官衙。内廷に奉仕する機関として設置され、玄宗の時に集賢院学士とともに制誥を職掌とするようになってから、次第に重視された。玄宗はまた学士院を置き、翰林の職を兼ねるようになると「翰林学士」の呼称ができた。さらに中唐・晩唐期には宦官に翰林学士使・学士院使に任じて連絡の職務に就かせた。発掘調査によると、右銀台門北側の西夾城内に設置されたので、大明宮外に位置したが、夾城には外部から接続する門がないため、翰林学士院に至るには、右銀台門を通り、西宮牆に開かれた翰林門を経由する必要があり、つまり実際には大明宮内を通過する必要があった。規模は西夾城の南側200mほどの部分を占め、うち南側を学士院、北側が翰林院となった。学士院側の南庁と、翰林院側の北庁は花塼道で接続され、北庁の基壇の東西は23m、桁行五間で、北庁の中央は穿道となり、西に翰林学士の執務室、東は翰林学士の執務室と、承旨閣子(承旨学士)の執務室が位置した。徳宗の時に麟徳殿の東、金鑾殿の西にもう一つ翰林院を建造した。もとの翰林学士院と区別するため、こちらは東翰林院と呼ばれた。

参考文献

楊鴻勛著/向井佑介訳『唐長安大明宮 上巻』(科学出版社東京,2021年)

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最終更新:2025年12月16日 03:02
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