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韋済

韋済 いさい

686-752
盛唐の官人。南北朝時代から唐にかけて盛行し、十七人の宰相を排出した京兆韋氏の出身で、その分流・小逍遥公房の出身。武則天中宗の宰相韋嗣立の三男。韋恒の弟。開元年間(713-741)初頭に鄄城県令に調任された。ある者が吏部の県令の選任が不適当だと述べると、詔によって県令二百人に対して相応しいか対策が出されたが、韋済は第一位となり、その他ふさわしくない者は免官となった。抜擢されて醴泉県令となったが、盧従愿李朝隠とともに刺史に貶された。戸部侍郎、太原尹となる。天宝年間(742-756)尚書左丞となる。官は馮翊太守で終わった。子に韋奥・韋逢が、孫に韋貞伯がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百一十六 列伝第四十一 韋思謙 済
『旧唐書』巻八十八 列伝第三十八 韋思謙 済

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 韋濟(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E9%9F%A6%E6%B5%8E

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最終更新:2026年02月05日 23:22
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