李朝隠 りちょういん
665-734
盛唐の官人。字は光国。京兆三原県(陝西省咸陽市)の人。明法科に及第し、臨汾県の尉をはじめ、大理丞となった。
武三思が
敬暉・
桓彦範らの誅殺をはかると、これを拒絶したから嶺南に流されたが、宰相の口添えによって聞喜県令となった。侍御史、吏部員外郎になると、有名無実の官吏千四百人を罷免した。開元二年(714)吏部侍郎に遷り、
銓選によって名声をはせ、
盧従愿とともに「後に盧・李あり」と称えられたが、開元四年(716)玄宗が全国の県令を召集して策試を行い、不合格者を免官としたところ、李朝隠の選んだ者に不合格者が出たことから、滑州刺史に左遷された。河南尹、大理卿、岐州刺史、大理卿、御史大夫、太常卿、嶺南采訪処置使、兼判広州を歴任した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年03月31日 00:46