盧従愿 ろじゅうがん
668頃-737
盛唐の官人。字は子龔。相州臨漳(河南省安陽)の人。盧敬一の子。范陽盧氏北祖第三房の出身で、北魏の盧昶の六代の子孫である。明経科に及第し、夏県の尉、右拾遺、監察御史、山南黜陟巡撫使、中書舎人を歴任。景雲元年(710)吏部侍郎となって
銓選を担当。以後、人事畑の官僚となり、
李朝隠と共に「後に盧・李あり」と称えられた。開元四年(716)
玄宗が全国の県令を召集して策試を行い、不合格者を免官としたところ、盧従愿の選んだ者に不合格者が出たことから、豫州刺史に左遷された。工部侍郎、尚書左丞、中書侍郎、工部尚書、刑部尚書を歴任し、次代の宰相の呼び声高かったが、
宇文融との諍いから
玄宗に軽んじられて、遂に宰相とはならなかった。子に
盧論・
盧允がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年03月29日 23:04