阿史那歩真 あしなぶしん
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西突厥の可汗(位657-666)。室点蜜可汗の五世の孫。
阿史那歩真の族兄。貞観六年(632)阿史那歩真が唐から奚利邲咄陸可汗(イルテベル・テュルク・カガン)の称号を授けられたが、阿史那歩真は自立して可汗になろうとし、弥射の弟や甥二十人以上を謀殺し、そのため両者は険悪となった。貞観十三年(639)弥射が処月・処密の部落を率いて唐に入朝すると、歩真は自立して咄陸葉護(テュルク・ヤブク)となったが、その部落の多くが従わなかったから、逃げ去り、一族とともに唐に入朝し、左屯衛大将軍を授けられた。顕慶二年(657)継往絶可汗兼右衛大将軍、濛池都護に冊立され、五弩失畢部落を統轄した。龍朔二年(662)弥射・歩真は部族を率いて䫻海道大総管の
蘇海政に従って亀茲(クチャ)を討伐した。歩真は弥射の部落を併合を望み、蘇海政に弥射の謀反を誣告して斬殺させた。乾封年間(666-668)に没した。子の
阿史那斛瑟羅が継承した。
列伝
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最終更新:2026年02月13日 00:22