裴守真 はいしゅしん
?-705以前
初唐・武周の官人・儒者。字は方忠。絳州稷山県(山西省稷山県)の人。裴諲の子。進士に貢挙され、乾封県の尉となる。太常博士となり、永淳二年(683)七月、
高宗が嵩岳で封禅を行なうことになると、李行偉・
賈大隠・
韋叔夏・
輔抱素とともに詳細に儀注を定めた。また高宗が崩御すると韋叔夏・輔抱素と共に故事を調査・検討した。天授年間(690-692)司府丞となったが、多くの囚人を釈放したことが
武則天の意向にそむき、汴州司馬に左遷された。後に成州刺史となる。長安年間(701-705)卒。子に
裴子余・
裴耀卿・
裴巨卿・
裴僑卿がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2026年03月22日 03:27