劉軻 りゅうか
772-840
中唐の官人。字は希仁。嶺南の人。もとは僧侶であったが、還俗し、元和十四年(819)進士に及第。史才を
呉武陵と並び称された。宏文館学士となり、直弘文館となった
王遐と親しかったが、王遐の父
王璠が甘露の変で殺害されると、建議をかけられ、自ら弁明せざるを得なかったが、かろうじて死を免れた。その後洺州刺史、侍御史を歴任した。著作に『三伝指要』十五巻、『漢書右史』十巻、『黄中通理』三巻、『翼孟』一巻、『隋監』一巻、『三禅五革』一巻があるが、いずれも失われた。また多くの禅僧の碑文に撰文した。
志・列伝・史料
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最終更新:2026年05月12日 22:34