劉建鋒 りゅうけんぽう
?-896
唐末の群雄。字は鋭端。蔡州朗山県の人。忠武軍の部将となり、
秦宗権に仕え、秦宗権が滅ぶと
孫儒に仕えた。孫儒が滅ぶと
馬殷と共に離散した兵士を集めて江西に侵攻し、洪州・虔州・潭州を奪取し、
乾寧元年(894)武安節度使の
鄧処訥を殺して、自ら節度留後と称した。上表文を長安に送り、検校尚書左僕射・武安軍節度使に任じられた。乾寧三年(896)、御者の陳贍の妻を寝取ったため、陳贍に撲殺された。馬殷が楚を建国すると、過去の恩から後唐朝廷に追贈を願い出て、太尉を追贈された。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年07月05日 01:34