高仁厚 こうじんこう
?-886
晩唐の武将・藩陳。剣南西川節度使の
陳敬瑄の部将。邛州の
阡能が蜂起して、数万となり各地に広がると、陳敬瑄は楊行遷を派遣するも敗北。中和三年(883)、高仁厚が西川行軍司馬となって討伐を行い、わずか五日で阡能らを捕らえ、鎮圧した。またこれに与した涪州刺史
韓秀昇も討伐し、功によって眉州刺史となった。また、陳敬瑄が高仁厚に剣南東川節度使の地位を与えようとすると、剣南東川節度使の
楊師立が怒り、成都に攻め寄せると、これを破って将の張士安・
鄭君雄を降伏させ、楊師立を自決に追い込んだ。功績により剣南東川節度使に任命されたが、
光啓二年(886)、陳敬瑄の疑心により途絶。遂州刺史の鄭君雄が叛くと、そのついでに維州・茂州の羌軍を差し向けられ、斬られた。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年07月17日 17:38