崔能 さいのう
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唐代の官人・貴族。字は子才。唐代に「七姓十家」と称された名門・清河崔氏の分家・南祖崔氏の出。
朱泚の乱に際して、
渾瑊のもと朔方軍で戦功を挙げ、引き上げられて幕府を補佐した。累進して侍御史となる。河東の
鄭儋は上表して判官となり、後に蜀州刺史となる。元和六年(811)黔中観察使となり、元和八年(813)に
張伯靖の反乱に際して、張伯靖は降伏しようとしたが、私怨により攻撃を主張したが、入れられず、後に讒言により左遷され、中丞、ついで将作監となった。元和十五年(820)九月に広州刺史・嶺南節度使となる。卒した時、年六十八歳であった。礼部尚書を贈位された。子に崔彦会がいる。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年01月16日 00:27