崔璪 さいそう
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中唐の官人。唐代に「七姓十家」と称され、唐初に編纂された『氏族志』では唐室李氏を抑えて一等とされて太宗の怒りを買った名門中の名門である博陵崔氏第二房の出身。
崔頲の子。
崔琯・
崔珙の弟。
崔瑨・
崔璵・
崔球・崔珦の兄。開成年間(836-840)初頭、吏部郎中となり、給事中に転じた。会昌年間(841-846)初頭、陝虢観察使、河南尹となり、さらに御史中丞、吏部侍郎を歴任した。大中年間(847-860)初頭、兵部侍郎、充諸道塩鉄転運使となる。
崔鉉が宰相になると、諸道塩鉄転運使を罷免され、検校兵部尚書、兼河中尹、御史大夫,充河中晉絳磁隰等州節度観察使となる。大中七年(853)尚書左丞となり、さらに刑部尚書となった。子に崔滔がいる。『旧唐書』 に伝があるほか、『新唐書』に極めて短い伝がある。
列伝
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最終更新:2026年10月21日 00:35