張文収
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唐代の音楽家・官僚。隋内史舎人であった張虔威の子。音律をよくし、広く歴代の音楽を採り、竹を切って十二律を吹いて備わらせた。太宗が礼楽を定める際に、文収を召して太常とし、少卿の
祖孝孫とともに雅樂を選定した。太楽には古鐘十二鐘があったが、当時用いていたのは七のみで、あまった五は「啞鍾」と呼ばれていたが、これを復活させた。貞観十四年(640)、景雲が見えて黄河の水が清らかとなった瑞兆のため、「景雲河清楽」をつくった。太常丞となり、永徽五年(654) に新羅の真徳女王が没すると張文収に命じて、節を持って霊を弔わせた。咸亨元年(670)、太子率更令となり、その官位で卒した。著作に『新楽書』十巻がある。『旧唐書』に伝があり、『新唐書』にも極めて簡単な伝がある。
志・列伝
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最終更新:2022年12月04日 16:09