除陌銭

除陌銭 じょはくせん

唐代の税名。徳宗の時代、河北・河南の節度使を討伐して巨額の軍事費を要し、財源に窮して新税を創設した。趙賛の建議によって、間架税とともに建中四年(783)にはじめられた。陌は百と同じで、除陌とは100文のなかから定率の銭を天引く意。官からの給与、民間の取引に毎緡(1,000文)に50銭、すなわち100文につき5文を除いて官に納め、現物の給与・売買においてもこれに準じた。売買の取引税としての性質もあり、違反者には罰則が設けられて徴税の成績を上げようとし、怨嗟の声が民間に高く、翌年、徳宗の奉天退避後の大赦によって廃止された。

本紀・志・列伝

『新唐書』巻七 本紀第七 徳宗 建中四年六月庚戌条・興元元年正月癸酉条
『新唐書』巻五十二 志第四十二 食貨二 両税法
『新唐書』巻五十五 志第四十五 食貨五 文武官禄
『新唐書』巻二百二十三下 列伝第一百四十八下 姦臣下 盧𣏌

参考文献

『アジア歴史事典』4(平凡社,1960)

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最終更新:2022年12月31日 15:04
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