蘇楷
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唐末の官人。起居郎。礼部尚書の蘇循の子。乾寧二年(895)の進士であるが、同年の進士二十人の実力に疑問を呈する意見があったため、再試を行ったところ、詔によって名指しで詩才を酷評された。
柳璨、
張廷範に接近した。天祐二年(905)四月、昭宗の山陵造営の功によって紫金魚袋を賜った。同年昭宗の諡号について論駁し、改諡して「恭霊荘莊閔皇帝」とし、廟号を「襄宗」とした。後梁がおこると放逐された。父が後唐の荘宗に仕えたから、同じく後唐に仕えて員外郎となり、歴使幕となった。さらに高位を望んだが、改諡の罪のため得られず、憂憤のあまり死んだ。『旧五代史』に伝がある。
列伝・史料
『旧五代史』巻六十 唐書三十六 列伝第十二 蘇循 子楷
最終更新:2023年01月03日 01:37