朱友恭

朱友恭 しゅゆうきょう

?-904
唐末の武将。本名は李彦威。寿州の人。朱全忠の養子となり、朱全忠の四戦に従って軍功を立て、諸軍都指揮使・建康左僕射・汝州刺史・検校司空・都虞侯を歴任した。天祐元年(904)、朱全忠の意を受けて蒋玄暉氏叔琮らとともに昭宗弑逆を行い、諸王宗属数百人も皆殺害して、龍興寺の北の一坑に同じく埋めた。朱全忠は関与を否定したため、見せしめとなって氏叔琮とともに死を賜った。『新唐書』『旧五代史』『新五代史』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百二十三下 列伝第一百四十八下 姦臣下 朱友恭
『旧五代史』巻十九 梁書十九 列伝第九 朱友恭
『新五代史』巻四十三 雑伝第三十一 李彦威

外部リンク

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最終更新:2024年05月18日 11:38
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