崇徽公主

崇徽公主

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唐代の和親公主の一人。皇族ではなく、僕固懐恩の娘。英義建功可汗の後妻。光親可敦が死んだため、大暦四年(769)和親公主に選ばれ、可汗に嫁いだ。可敦を冊拝し、繒綵二万疋を賜わった。この時唐の財政が窮乏し、公卿の馬や駱駝に税を課して降嫁の費用をまかなった。宰相は渭水の中溝橋まで出かけていって餞した。

列伝

『新唐書』巻二百一十七上 列伝第一百四十二上 回鶻上
『新唐書』巻二百二十四上 列伝第一百四十九上 叛臣上 僕固懐恩

外部リンク

维基百科,自由的百科全书 崇徽公主(中文)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E5%BE%BD%E5%85%AC%E4%B8%BB

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最終更新:2023年01月08日 15:35
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