僕固懐恩
?-765
唐代の名将。トルコ系の鉄勒僕骨部の首領。
僕固瑒、
崇徽公主の父。父は唐のために誅殺されたが、唐に忠誠し、安史の乱が起ると部衆を率いて朔方節度使の
郭子儀に従い力戦。子の玢が軍令を犯すとこれを斬って全軍の士気を挙げた。回紇に援軍を要請して、当時讒言で失脚していた
郭子儀に代わって、広平王(後の代宗)を副将として補佐し、回紇(ウイグル)の援軍を求める使者となった。さらに娘は回紇の可汗に嫁ぎ、彼の一門で唐のために戦死したものは四十六人に及んだ。代宗が即位すると、
史朝義の誘いに乗った回紇が十万の軍を率いて唐に侵攻したため、懐恩は娘婿の牟羽可汗に道理を説いて翻意させて、再度回紇が唐につかせた。元帥雍王(後の徳宗)の副将となって史朝義を倒し、安史の乱を終結に導いた。しかし大きな功績と高位は漢人宦官の妬みを買い、讒言にあって、泣いて冤罪を訴えたが追い詰められ、広徳二年(764)叛き、吐蕃の衆数万人を率いたが、郭子儀によって防がれ、翌年には回紇・吐蕃・党項・奴剌の衆二十万を率いて唐に侵攻したが、病死した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2023年01月08日 23:07