厳荘

厳荘

?-?
唐の官人・叛将。安禄山の下僚で、財物の出納を管理した。安禄山が唐に謀反をおこすと、高尚とともにその謀臣の筆頭となって謀反の挙兵をすすめた。挙兵すると父・母・弟は唐に誅殺された。挙兵後、戦況が不利となって一時遠ざけられたが、再び謀臣の座に復帰した。至徳二載(756)正月、安禄山が皇帝となると、御史大夫に任じられた。安禄山からたびたび笞打ちなど辱めを受けたから、安慶緒に謀って安禄山を殺害、安慶緒より兄として敬われた。兵十万を率いて新店で唐軍と戦うも、大敗して鄴に逃れた。安慶緒の不利を見て、広平王(後の代宗)に投降、粛宗に謁見し、許されて司農卿を授けられた。康謙の謀反案件に連座して難江尉に左遷されたが、許された。

列伝

『新唐書』巻二百二十五上 列伝第一百五十上 逆臣上 安禄山 慶緒 孫孝哲 高尚
「大燕贈魏州都督晋府君墓志銘并述」

外部リンク

维基百科,自由的百科全书 严庄(中文)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A5%E5%BA%84#cite_ref-1

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2023年03月31日 09:00
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。