安慶緒
723-759
唐代の武将・叛将、燕の第2代皇帝。
安禄山の次男。
安慶宗の弟、
安慶恩・
安慶和の兄。平盧・范陽・河東の三節度使である父が玄宗に寵愛されたため、鴻臚卿に任じられた。安禄山が契丹との戦いで惨敗すると、身を挺して父を守った。父が帝号を称すと、晋王に封じられた。父が糖尿病のため暴虐化し、弟の安慶恩を後継とすることをねらったため、
厳荘のすすめで父を殺害、自ら帝位についた(在位757-759)。
郭子儀軍の反撃により長安・洛陽を失陥、鄴城に逃亡した。追撃してきた唐軍のために窮地に陥ったところを
史思明の援軍により撃退したが、史思明に殺害された。晋刺王と諡された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2023年03月26日 01:31