?-756
唐代の武将。河間の司法であったが、天宝十四載(755)
安禄山が叛乱すると、安禄山が任命した長史の
王懐忠を殺害、安禄山の将
史思明が饒陽を攻撃すると、兵七千で饒陽に救援したが、史思明に敗れた。至徳元載(756)河間を攻撃され、陥落して捕虜となり、洛陽に送られ刑死した。安史の乱後期で活躍した藩鎮の
李奐とは同名の別人。
列伝・史料
『新唐書』
巻二百二十五上 列伝第一百五十上 逆臣上 史思明
『資治通鑑』巻二百一十七 唐紀三十三 玄宗 天宝十四載十二月条
『資治通鑑』巻二百一十九 唐紀三十五 粛宗 至徳元載十月甲申条
最終更新:2023年03月29日 21:08