薛楚玉
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唐代の官人。范陽平盧節度使。唐代に宰相を輩出した薛氏南祖の出身で、
薛仁貴の子、宰相
薛訥の弟。
薛嵩・
薛㟧の父。字は瑤、左羽林将軍、汾陰県伯。開元二十三年(735)契丹の可突于が辺境に侵寇したので、幽州長史の薛楚玉・副総管
郭英傑・
呉克勤・
烏知義・
羅守忠は一万騎および奚をひきいてこれを撃ち都山の下に戦った。可突于は突厥兵をもって来攻したので、奚はおそれてどちらにもつかず、部衆は走って険に拠った。
烏知義・羅守忠は敗れ、郭英傑と呉克勤とは戦死し、唐兵一万人が殺された。そのため節度使を解任された。
表・列伝
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最終更新:2023年01月21日 22:58