李猪児

李猪児

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唐代の宦官。安禄山の側仕え。李豬児とも。契丹の降奴で、十歳あまりの時に安禄山に仕えた。大変ずる賢かったため、安禄山自ら李猪児を去勢し、血が数升も流れて死ぬところだったが、安禄山が灰火で塞いだため、一日で蘇り、そのため宦官となった。安禄山に最も信用され、安禄山の腹が大きく、膝まで垂れさがっており、衣裳をかえるときは、いつも左右の者がこれを持ちあげ、李猪児が帯をむすんだ。安禄山は晩年糖尿病となって凶暴化し、側近・腹心でも笞打ちし、その数は李猪児が最も多かった。そのため安慶緒厳荘にそそのかされ、至徳二載(757)正月元日、安禄山の腹に切りつけて殺害した。史書に李猪児の終わりは記録されていない。

列伝・史料

『新唐書』巻二百二十五上 列伝第一百五十上 逆臣上 安禄山
『旧唐書』巻二百上 列伝第一百五十上 安禄山
『安禄山事跡』巻下

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』李豬児
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E8%B1%AC%E5%85%90

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最終更新:2023年04月14日 22:49
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