彭偃 ほうえん
?-784
唐代の官人・叛将。大暦年間(766-779)末に都官員外郎となる。剣南東川観察使の
李叔明が、寺観を整理して上寺・上観のみ存続して、他は廃寺・廃観とするよう上言した。
徳宗は天下の通制とするか剣南一道のみの制とするか意見を募った際に反対意見を述べ、彭偃の案は容れられた。興元元年(784)
朱泚が叛いて自立すると、長安を脱出した徳宗を追ったものの果たせず、田家に隠れているところを朱泚の軍に発見されて、中書舎人に任じられた。朱泚の辞令はすべて彭偃の手になったものだという。
李晟が長安を恢復すると
崔宣・
杜如江・
呉希光らとともに
大安国寺前で斬られた。『旧唐書』に伝がある。
列伝
『旧唐書』巻一百二十七 列伝第七十七 彭偃
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最終更新:2025年01月05日 11:03