李昌言
?-884
唐末の武将・藩鎮。鳳翔行軍司馬で、中和元年(881)軍とともに興平に駐屯していたが、鳳翔の倉庫が枯渇し、賃金・兵糧が希薄となったため、節度使の
鄭畋を追放して自らは留後を称した。朝廷は李昌言を鳳翔節度行營招討使に任じた。中和二年(882)二月に京城西面都統に任じられた。同年六月に
黄巣賊は鳳翔を攻め、澇水で敗北したが、鳳翔を固守した。中和三年(883)二月に同平章事に任じられた。中和四年(884)十二月、病となり、弟の
李昌符に留後を司らしめるよう上表し、薨去すると朝廷は李昌符に鳳翔節度使を授けた。
本紀・列伝・史料
『新唐書』
巻九 本紀第九 僖宗 中和元年十月条、同年十一月条、中和二年二月丙戌条
『新唐書』
巻一百八十五 列伝第一百一十 鄭畋
『新唐書』
巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 黄巣
『資治通鑑』巻二百五十四 唐紀七十 僖宗 中和元年十月条、同年十一月条、中和二年正月条
『資治通鑑』巻二百五十五 唐紀七十一 僖宗 中和三年二月条
『資治通鑑』巻二百五十六 唐紀七十二 僖宗 中和四年十二月条
外部リンク
最終更新:2023年05月29日 22:37