任雅相 にんがしょう
?-662
初唐の武将・宰相(在任659-662)。楽安縣公。兵部尚書となり、高宗が即位すると
蘇定方・
契苾何力とともに高麗を攻撃したが、功なく撤退した。燕然都護となり、顕慶年間(656-661)の初頭に蘇定方とともに突厥の阿史那賀魯を攻撃した。顕慶四年(659)、同中書門下三品に任じられ、宰相職に就任した。龍朔元年(661)、高麗攻撃のため浿江道行軍総管に任じられたが、翌年軍中で病没した。
本紀・表・列伝・史料
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最終更新:2024年11月27日 00:56