将棋の成り立ち・歴史


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本項は、スレでも度々話題になる「将棋の成り立ちの歴史」についての意見・研究をまとめ、後の議論に資するためのものです。

本項では、将棋系ゲームが日本に伝来した時期から本将棋が完全に定着した江戸時代までの数百年間を、
便宜上「将棋系ゲームの伝来期」「古将棋の発展期」「本将棋の成立期」に大別します。


【将棋系ゲームの伝来期】


現在見つかっている最古の将棋駒は、天喜六年(1058年)のものです(増川, 2013, p35)。
奈良時代~平安時代前期の日本の文献に将棋の記述が見られないことから、少なくとも10世紀前半までは将棋はなかったと考えられています(増川, 2013, p34)。
これらのことから、日本で将棋が出来たのは10世紀後半~11世紀前半と思われます(増川, 2013, p38)。

日本に将棋が伝わるまでの経緯ははっきり分かっておらず、伝来ルートについて以下のような様々な説が出されています。

中国ルート説

中国から伝わった象棋(シャンチー)が日本で将棋になったとする説。木村義徳氏などが主張。
8世紀の中国の文献『玄怪録』には「宝応象棋」と呼ばれるボードゲームの話が載っており、これが根拠とされることも。

説紹介


反論・欠点

  • 「中国からシャンチーが伝わって将棋になった」とは考えにくい(増川, 2013)。
    • 理由1. シャンチーと将棋はルール、駒、盤のいずれについても相違点が多い(駒を交点の上に置くか升目に置くか、盤に河があるか否か、駒の動きや色分け、など)。中国から伝わったのならばもう少し多くの共通点があるはず
    • 理由2. 現在見つかっている最古のシャンチー駒は1106年のもの。これは最古の将棋駒より半世紀も後*1
    • 理由3. 宝応象棋が実在した具体的証拠は見つかっていないし、『玄怪録』自体の信頼性が低い。宝応象棋は架空のものと見るべき
    • 理由4. 「古代~中世の日本には中国船・朝鮮船しか来ていなかった」という主張もあるが、様々な物証から、中国の船は中国以外の人・文物を乗せていた可能性が高い
    • シャンチーと将棋は、共通の祖先から別々に分岐して出来たのではないか(増川, 2013)。

反論に対する反論

  • 増川の論は反論として成立していない点がある(清水, 2017)。
    • そもそも『玄怪録』の作者は実際のものを題材に執筆したはずなので、逆説的に宝応象棋のようなものが当時存在していたことは間違いない。反論としておかしい

東南アジアルート説

東南アジア経由でチャトランガ系ゲームが日本に伝わり、将棋になったとする説。増川宏一氏などが主張。

説の紹介:増川(2013)

  • 将棋は海のシルクロードを経由して東南アジアから伝わった
  • インドのガンジス河上流地方で考案されたチャトランガが、川を下って東南アジアまで伝わったのだろう
    • 東南アジアの12~13世紀の遺跡群には、船上で将棋のようなゲームをしている人を描いた浮彫りが存在する
    • ビルマ地方から東に向かう途中で中国沿岸を経由したことで、中国の漢字文化の影響を受け、駒に漢字が書かれるようになったのではないか
    • インドから東南アジアに伝わった南方系の盤双六が、将棋より2~3世紀以前に正倉院に納められていることも傍証となる
    • チャトランガは駒配置・盤サイズが将棋と似通っている
  • 補足1. 音韻学の観点から、増川の説を補強する意見も唱えられている
    • (増川宏一氏の日本将棋「中国南岸の貿易港経由」伝来説を裏付ける史料ついに発見!?東南アジアから海のシルクロードで伝わった? - Togetter https://togetter.com/li/1398389

反論・欠点

  • 充分な証拠が見つかっていない(増川, 2013)。

【古将棋の発展期】


【本将棋の成立期】


【参考文献】

  • 増川宏一(2013)『将棋の歴史』. 平凡社, 平凡社新書
  • 清水康二(2017)『東アジア盤上遊戯史研究』. 明治大学大学院博士論文



  • テスト -- (管理人) 2020-11-17 19:13:29
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最終更新:2020年11月25日 09:34

*1 管理人の意見:単に駒が見つかっていないだけかもしれない。最古が更新される可能性はある