ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ

(1746年1月12日 ~1827年2月17日)
スイスの教育実践家。フランス革命後の混乱の中で、スイスの片田舎で孤児や貧民の子などの教育に従事した。
主要な著書に『リーンハルトとゲルトルート(1781~1787)』『隠者の夕暮(1780)』等がある。



貧困の救済と家庭教育の重要性
 ペスタロッチは、子どもたちに経済的な自活の能力をつけさせ、健全な家庭生活が営まれることによって健全な家庭生活が生まれ、道徳的な人間が育成されると考えた。家庭の教育力を問題にした初めての人がペスタロッチである。
 ペスタロッチの教育活動の究極的な目標は,貧困に陥っている民衆を救うことである。貧困の原因は何なのか。それは、民衆に自活していく能力が身に付いていないことであり,子どもたちに自活していける力を身につけさせれば,貧困から救うことができると考えた。よって、文字を覚え聖書を読めるようになることではなく,自活していくために必要な能力を育てることが必要であるとした。
ペスタロッチの時代のスイスは,イギリスやフランスに遅れながらも産業革命の影響が浸透し始め,封建的な体制が根強く残る農村社会に産業資本が入って、農村は混乱状態となった。貨幣経済に巻き込まれていくと,伝統的な農村社会に亀裂が入ってしまう。次第に農民は土地を捨てて小作に転じ,その結果さらに生活が貧しくなってしまうという悪循環ができてしまった。貧しくなる一方の農民たちの貧困をせき止め,自活のための技能を教育によってつけさせることが急務となったのである。貧困をせき止めていくために基盤となるのは家庭であるとした。民衆が陥っている貧困をせき止め,社会改革を実現させていくことが,ペスタロッチの教育活動の究極的な目標であった。
ペスタロッチが家庭教育について述べた言葉として以下のものがある。
「家庭の幸福は、最もよき、もっとも著しい自然の関係である。」(『隠者の夕暮れ』
「善悪についての言葉の説明を、日常の家庭的な場面や環境と結びつけるようにしなさい。十分にそれらに基づいているかに留意しなさい。」(『ゲルトルート児童教育法』




初めて貧民あるいは民衆の子どもを教育の対象として位置付けた 民衆の子どもたちはそれまでも教会に設置された学校に通っていたが,ただ文字を覚えたり聖書の言葉を覚えたりしていただけである。人格形成までを含んだ組織的な教育活動を民衆の子どもたちに行ったのはペスタロッチが初めてだと言ってよいだろう。
 ペスタロッチは,すべての子どもが教育の対象と考えたことで,「民衆教育の父」であるとたたえられている。ちなみに、ルソー『エミール』は教育書としては有名であるが、家庭教師の方法として書かれており,富裕階級,少なくとも中流階級以上の子どもたちが対象であり,民衆教育は対象ではなかった。



直観教授 】 感覚器官を鍛えて直観から理性へ
ペスタロッチの教育実践において後半に確立した方法として,直観教授がある。直観教授とは知識を言葉によって教えるのではなく,感覚器官を通じて教えていくという方法である。実物や絵を見せながら、知識を習得させるのである。この点でペスタロッチは感覚器官を育てた後に理性の教育へと展開すべきことを主張している。これはルソーの教育方法を受け継いでいるという見方もできる。
最終更新:2007年02月19日 15:32