家庭教育

家庭教育 とは、親がその子に家庭内で、言葉や生活習慣、コミュニケーションなど生きていく上で必要なライフスキル(生きていくうえでの技術)を身につける援助をしてやることである。

概要

家庭は、人間の社会の最小単位である個人の次に小さい単位である。個人は、全く教育を受けていない状態では、人の姿をした動物(獣と同等)であるとも考えられる。これを、「エミール」の著で有名なジャン・ジャック・ルソーは人間は生まれたときは野蛮性を持っているが、他の動物と違う点は教育によってその野蛮性が取り除かれ、社会に溶け込んでいく。だから単なるサヴェッジ(野蛮人)ではなく、ノーブル サヴェッジ(気高い野蛮人)であると言った。このため人間らしく生活できるための、最も基本的な段階の教育として、乳幼児の段階より段階を追って教育していく行為である。
成長するに従って、親や兄弟・姉妹、あるいは近隣住民といった他人との接し方を学んだり、または学校教育では教わらない事柄を、生活を通して覚えていく。与えられた小遣いをどう使うかなども、家庭教育の一端と考える事ができる。子供は成長に従って、生活のさまざまな面で学ぶ事になるため、日常の生活そのものが、家庭教育であるともいえるだろう。

問題点

今日、基本的な教育行為である家庭教育が、精神的な未熟さや多忙などの理由で出来ない親が社会的に取り沙汰される傾向がしばし見られる。一般的価値観の中には、「親は子供も育てられて当たり前」とする価値観も見られるが、それが諸々の理由もあって出来ないことにより、親の苛立ち・不満・ストレスが鬱積し、子どもへの暴力ないし放置(→児童虐待)とし現れた事件が増えてきている。
これらは、当人の能力不足という面も指摘されるが、その一方で社会的価値観の変容にも問題を見出す事ができる。いずれにせよ、児童虐待といった事態では、当事者全員が洩れなく不幸と成ってしまうことは明白であるため、その改善が必要とみなされ、様々な予防・救済・援助が試行錯誤により提供されている。
特に、乳幼児を相手としてのこうした親の能力不足を、次世代育成能力(Generativity)の欠如と呼ぶ。児童相談所や公立の保育園などでは、電話などによる育児相談やQ&Aのリーフレットなど配布したりしている。
また、祖父母が同じ家庭内にいない核家族化の影響も大きく、居る家庭に比べて家庭の中での緩衝システムの有無も、子供にとって大きな影響を及ぼしているといえるだろう。この辺りには夫婦間の無関心や無理解によっても加速する傾向もあり、逆に夫婦間で家庭教育といった役割の分担で片方の負荷を軽減させる事により、児童虐待などの問題行動を抑制できるといった報告も少なからず見られるという。
また、学校(小学校など)の週休2日に伴い、休みになった土曜日に親が子どもにどのような教育サービスを提供してやることが出来るかというのも、親の難題になっている。

補足

この家庭教育であるが、社会的変容や価値観の変容、あるいはそれら情報の氾濫により、子の保護者が混乱・迷走する傾向も見られる。近年ではコンプレックス産業的な様々な不安を煽る産業すら見られ、これら業態に依存する保護者すら見受けられる。
ただ家庭教育においては、それを成すことに対して専門教育が行われている訳ではなく、それらは連綿と親から子へと習慣的に引き継がれていった行動様式であるに過ぎない。ただ近年では少子化にも伴い、物心付く以前の家庭教育の文化が、子に伝え難い傾向もうかがえるが、その一方で電話やインターネットといった通信媒体の発達で、例え核家族でも経験者(祖父母)のアドバイスを受けやすくもなっている。
祖父母などの親類なら、何かあったときにも頼りやすいため、情報も信頼できるであろう。しかし、近年の日本では育児雑誌といったジャンルの本も著しくなり、通信媒体やテレビなどのマスメディアから大量の情報が提供され、それを通して幼児の教育を行う事態もある。
そのため、その情報を鵜呑みにするのではなく、自分にとって有効な情報(必要だと思われる)のみを得、そして正しい情報を認識する知識が必要だと思われる。さもないと、そのカリキュラム進行で我が子の発達具合に不安を覚え、育児ノイローゼーなどになってしまう場合がある。

なお、家庭教育に関する学会としては日本家庭教育学会、家庭教育の専攻を有する大学として八洲学園大学(study.jp/univ/yguk)がある。

ja.wikipedia.org/wiki/家庭教育より、一部引用。

りえ
最終更新:2007年05月04日 10:26