この世に生きる喜び -Theory that can be substituted- ◆xR8DbSLW.w


○構想/ナナシ○



夢はそう簡単には叶わないね



○発想/ナナシ○


だい‐よう【代用】
[名](スル)あるものに代えて別のものを使うこと。「糊(のり)がないので飯粒を―する」「―品」


か‐のう【可能】
[名・形動]《「能(あた)う可(べ)き」の音読》

1 ある物事ができる見込みがあること。ありうること。また、そのさま。「現在―な方法は限られている」「実現―な(の)計画」

2 文法で、そうすることができるということを表す言い方。動詞の未然形に、
  文語では助動詞「る」「らる」(古くは「ゆ」「らゆ」)、口語では助動詞「れる」「られる」などを付けて言い表す。


り‐ろん【理論】
個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系。
また、実践に対応する純粋な論理的知識。「―を組み立てる」「―どおりにはいかない」


じぇいる‐おるたなてぃぶ【代用可能理論】
今やらなければならないことを先送りしてもそれはいつかはやらないといけなくなり、
それでも尚やらなければどうなるかといえば、誰かが代わりにやってしまうという理論。「―を唱える」「―どおりに《物語》は進む」




○夢想/×××××○



こんな夢を見た。
今ではぼくの記憶は愚か、誰の記憶にも留めることの無かったかもしれない。
何時頃だったか、しかし場所は異様にくっきりと。
一人の《危険信号(シグナルイエロー)》と対面し、勉強道具を広げながら。
ただ淡々と静かに、潭々と静かに、譚々と静かに。
勉強にしては微妙にして曖昧な緊張感をこれ以上崩すもんかとばかりに気を遣いながら対面していた。

《危険信号》。
《病蜘蛛(ジグザグ)》の弟子。
《曲絃糸の使い手》。
戯言遣い》の弟子。
紫木一姫。
通称姫ちゃん。
というより彼女自身がそう望む。
言語能力が多少未熟で、よく慣用句や諺を素で間違える。
とても素直で、可愛らしい女の子。
それ故か、はたまた必然なのか。
彼女は直ぐに骨董アパートの住人たちとも仲良くやっていけた。

と。
いう表の顔あり。
表があるということは、裏があることを意味する訳で。

戦士として。
狂戦士として。
彼女は生きてきた。
バラバラと殺し。
スパスパと切り。
ザクザクと裂き。
ジグザグと化す。
なんていう非常識甚だしい裏の顔もあったり。

とにかくぼくの知っているところで5本の指に入るぐらいには強い子だった。
――けれど。
それでも、死んだ。
どこまでも死んでいた。
はてしなく壊れていた。
とぎれなく崩れていた。
そんな彼女が、ここにいる。
変わらない。
本当に変わらない。
でっかい黄色のリボンを初め全体的に真新しい制服に身を包み、心休まる笑顔を時折ぼくに見せる姫ちゃんが。
その姫ちゃんが。


口を開いた。


もう二度と聞くことないはずのその声が。
嬉々として、危機もなく。
爛々と揚々と明るく儚げなどこか欠けているその声を、ぼくは聞いた。


……全くもって。
あらん限りに戯言だ。



○迷想/ハチクジマヨイ・ツナギ○



静かな空間が、ここに存在した。
まるでこの一点の場においては周りの空間から隔離されているような、曖昧な感覚。
徒ならぬ緊張感を糸で仕掛ける罠の如く張り巡らせて、まさしく一触即発の状態を無意味に保つ。

風が吹く。
身で感じるには、余りにも無風が吹く。

木々は揺れ、変哲もない建物は風の吹く音を僅かに反響させる。
それが分かるほど、この二人の間には沈黙しかなかった。
いや、ただの沈黙で有れば両者共々助かっただろう。
しかし違う。只の沈黙とはわけが違う。

片やツナギ。
属性「肉」、種類「分解」の「魔法」使い。
その口に囚われた物は捕食され分解されて、吸収される。
彼女の生きる目的は自身を「魔法」使いにした水倉神檎に殺される為。
死ぬために生きるというのは一見すると可笑しく思えるが、これが中々そうではない。
生きているからには遅かれ早かれいずれは人は死ぬべきなのだ。
否、付け加え化物でさえもそれは例外ではない。
さながら阿良々木暦の様に。
彼女もまた、いずれは死ぬべきなのだ。
そういった観念から見たら、彼女にとってこの殺し合いはどう映っているのだろうか。
絶望か、はたまた希望か。

死ねる場に置いて、死ねない人間はどう行動するのか。

これもまた。
完全なる人間の創造には不可欠なのだろうか。


とは言ったところで今回、彼女がこうして黙しているのにはまた別の理由がある。
その原因がもう片方の少女。


――――蝸牛に迷った少女だった。



 @


放送が幕を閉じる。
何とも言い難い巧妙なぐらい微妙な空気が、狭き空間を絶妙に支配した。
何処でも例外はない。
何方でも特例はない。
つまりはこの場。
八九寺真宵だって蚊帳の外ではなかった。

母の日まで蝸牛に迷った少女。
今現在は、前が見えなく途方に暮ちゃっている。

まるで迷子。
蝸牛の殻の様なぐるぐるとした道に迷いこんでしまった子供。

あの人ならきっと、と。
一つの道標を辿っていたのに。
道標は、消えた。もしくは変わった。


阿良々木暦と云う一つの道標。


無残にも死んだらしい。
本人の意思も無下とし。
周囲の意地も無視とし。
感情の意義も無為とし。
価値の意味も無味とし。
意思なんか無く、意地なんか無く。
意義は消えて、意味は崩れ去る。
幻想がどうであろうと、現実は現実であり。
抗えない現状に、少なくとも八九寺真宵と言う少女は絶望した。

「主人公」は名無しと成り下がる。
「主役」もエキストラに崩れ入る。
「脇役」が移り変わるなど甚だしい。

人一人が平等に裁かれ、成長し、異常となる。
それが、このバトルロワイアルであった。

阿良々木が死んだのは、それを受け持つに足りなかったということだろう。
「吸血鬼」という異常を持ちながら、
「主人公」と言う特権を有しながら。
それでも朽ち果てていった一人の少年。
『普通』の少年。
『特別』でもなく。
『異常』の所有者になれなかった者。
『主人公』という座から振り落とされて。
数々の参加者に光を強制的に見せて、勝手に闇を見せた。

その犠牲者の一人。
その被害者の一匹。


八九寺真宵は、確かにここに生きていた。


――さて。
八九寺真宵は泣いている――――わけではない。
無論ながら悲しくない訳ではない。
だからといって、繰り返すようだが泣いている訳ではない。
――正直言って、どう反応すればいいのか彼女は分かっていなかった。
何しろ彼女の知っている阿良々木暦は吸血鬼である。
幾ら半端者とは聞かされたところで、彼は不死身であったのだ。
確かに彼女自身が阿良々木の不死身性を目視したのは少ないが、そんなこと疑うまでもない。
そんなもの、普段の彼を見ていれば分かることであったし、そこを疑うことなどできようもなかった。

「――――」

口を動かす。
されど声は微かも出てこない。
目を動かす。
視点が一点に定まらない。

だから彼女はまだ、放送が終わって一分を経った今でも、何もできずにいた。
戯言遣いのことも、頭から一旦離れ頭には「あり得ない」と「悲しい」という気持ちが
混雑して猥雑して、何もできない。
ただ愕然と、立ち尽くすだけである。

けれど時は刻まれてゆく。
一瞬、一瞬、また一瞬。そしてそして、


――そうして。


ようやく、八九寺真宵からは言葉が漏れだした。
その声は沈んでいて、悲しげで、絶していて、望まれていない。
けれど言葉を紡がれて、繋がれて。
一つの文となって、同じ場に平然と佇む同じく小柄な少女に問いかけられる。


「――――嘘ですよね、ツナギさん」


その声は、抑揚のない静かな声だった。
しかしそれだけで彼女の心境を表すには十二分である。
ツナギだってそれを感じらるのにさして時間を掛けることはなかった。

結局は現実の否定。
今頃死んでいるのか、いやまだかすかな寝息を立てているであろう否定姫の如く、彼女は現実を否定する。
幻想に抱きついて、いつまでたっても離さない。
まるで子供が駄々を――比喩になっていないが子供が駄々を捏ねているように彼女は直視しなかった。
純粋と言えば心は救われるのだろうか。
只管と、放送を直視、直聴せずに今を生きる。
ないしは生きていないのかもしれないが。

そんな彼女に浴びせられる言葉は、勿論ツナギの言葉だ。
幼い声は、少女を背中を押した。
目掛けるは――暗き深淵の底。
疲れ混じりに、言葉を吐かれる。

「んなわけないじゃない」

辛辣。
辛いことが二つ束となる。
まさしく彼女の言葉は、八九寺にとって辛辣だった。
正しいが故に、反論もできず。
悶々と現実逃避は渦を巻く。
意味の無い逃避行。
勝手知らない絶望と云う道を我武者羅に走り、迷子となる。


ただ、何にしたって小学生が受け持つには少々荷が重かったというものだ。
元々逆境に弱い彼女。
こんな現実受け入れられるはずが無いではないか。

「……す」

漏れ出した言葉は聞きとれない。
ツナギもだが、八九寺自身ですら何て言ったのか分からないあまりにも小さき声
八九寺はもう一度言葉を繰り返す。

「…………いです」

今度はそれなりの張りが出ていた、が。
声は震えている。喉が渇いている。
故にそれは、「声」という形ではなく、「ノイズ」と言った方が的確だった。
八九寺も分かっている。
だから、三度目の正直。


「………………失礼ですが、私、貴方のことが嫌いです。ツナギさん」


簡潔にそう言い残し、ただそれだけで学習塾跡の方へ一人で去っていく。
足を大きく踏み出しながら手を勢いよく振り続ける。お世辞にも綺麗なフォームとは言えない不格好な走り方。
それでも彼女は一人で進む。――、一度も振り返ることもなく。

唐突で突拍子の無い行動。
規律なんて無く、ただ子供の我儘で一人で去っていく。
自分の言うことに頷かないから嫌いだなんて子供の我儘だ。
我儘を突き通せるほど、彼女は混乱していた。心は放送の手によって攪乱されたていたのだろう。
どれだけ大人ぶろうとも、やはり子供には違いないのだから。

「…………へ?」

一人残されたツナギは、数秒の間固まる。
既に八九寺の姿は姿を見失った。
とはいえ八九寺の足が特別速いわけではない。
ただ単にツナギが彼女の姿を目で追っていなかっただけで、
八九寺の言葉を理解した時には目の前に広がるのは閑散とした住宅街であった。

更に呆然とすること数秒。
ツナギは降ろしていた腰をゆったりとした動作で上げる。

「――――ふぅ、ま。真宵ちゃんの駄々に少しは付き合ってあげますか」

面倒臭そうに、お尻に付いた土を軽く払いながら言った。
ツナギは走りだす。
しかし、進みは遅い。
頭脳は大人並とはいえ体は子供並みなのだ。
八九寺真宵とそう大差のない体つき。
追いつくにしても、難しいだろう。
ただツナギはそんなこと言われなくとも分かっている。
分かったいるからこそ、溜息をつかざるを得なかった。

「…………全く、こんなときにいーさんは何をやっているのかしら」

声は虚しく空に響く。
無論、八九寺真宵や戯言遣いには届く訳もなかった。



○追想/×××××○



この現実に甘んじていたのは誰でもなくぼくだったのだろう。
誰でもなく、この不肖戯言遣い。
愚かで馬鹿で現実を直視できていなかったのは、
真宵ちゃんでもなく。
ツナギちゃんでもなく。
鳳凰さんでもなく。
翼ちゃんではなく。
巫女子ちゃんでもなく。
姫ちゃんでもなく。
――このぼく。
ぼくこそが、誰にも負けないぐらい現実逃避を繰り返す異端者で良かったんだ。

だって未だにぼくはたった一人の死を引き摺っている。
姫ちゃん。紫木一姫。
夢に出てくるほどまでにぼくは彼女の死を振り切っていなかった。
いや振り切る必要はない。
寧ろ人の死を簡単に振り切ることのはあんまりだろう。
なので言い方を変える。

その少女の生を何時までも心残りにしている、という現実逃避。

こんな人間じゃなかったはずなのに。
以前ぼくはそう思ったはずだ。
事実、未だぼくでも信じられないほど姫ちゃんはぼくの心に何時までもこびりついている。
死んだ今でなお、少なからず二ヶ月ほどは経った今でさえ夢を見て、
『姫ちゃんとお喋りをしたい』
なんていう傑作な戯言の様な幻にぼくは縋りついている。
飛び込んだと言っても過言では無く真実だ。

こんなにも現実を知らない人間でも、なかった。

だから初めは、あのまま翼ちゃんに裏切られて殺されたかと思った。
けれど違うようで、黄泉の世界でも、天国地獄でもなく、ただの夢だという。
この暑い蒸されるような骨董アパートの小汚い卓袱台の上に広がる勉強道具を見る限り、
確かにいつかの記憶と合致する。……まぁぼくの記憶力の申すことだからうろ覚えで間違いないだろうけど。

閑話休題。

死後の世界ではなかったのだとしたら、ぼくが見ているのは間違いなく夢で間違いないと思う。
元々の話で夢の何を知っているかと問われたら何も知らないと答えざるを得ないが。
夢なんてもの、ぼくが現実世界で一から十まで覚えて現実世界に帰れるわけないし、時間が経てば全てを忘れる。
けれど、これは夢だと断言できた。俗にいう明晰夢というやつだろう。
中々くだらないが、やはり姫ちゃんがここにいる以上。
そうなのだろう。――いや、そう信じたかった。
戯言ここに極まり。
まぁそうでもなければ、よく分かんないけど《怪異》の仕業なのかもしれないが、頷ける話じゃないし。
そもそも改めて考えてみると、吸血鬼ってそもそも何なのか。
そのこと自体もよく知らないし。あくまで道聴塗説、都市伝説レベルのぼくの知識ではやはり鬼に構わず何とも言えない。
だからここではIFの話はしないでおく。せっかくの夢だから。
畏まって固まりながら動く必要もない。

――――だから、ぼくはその幻に抱きついていようと思う。

姫ちゃんと言う、幻を。
少しばかりの、現実逃避を。



 @



唐突ながらぼくは、姫ちゃんに対し何かを感じ取っていた。
それも彼女の生前の時には感じられなかった新鮮な感触。
当然ながらこれはぼくの夢想なのでこの姫ちゃんは本物と違う。
違う故にそこから何かを感じるのは仕方ないが、今回の場合わけが違ったりする。
やはり直観にこそ違いないが、その感じ取ったものの内容は多分分かっている。

――――ぼくは、デジャブを感じていた。

何とと聞かれたらぼくはこう答えるであろう。
姫ちゃん本人と、「彼女」との存在が、だ。


とある狐は唱えていた。
《ジェイルオルタナティブ》。
代用可能理論。
全ての人間に代わりはいる。大まかにいっちゃえばそんな考え方。
ぼくはその理論を否定する気はない。どちらかというと認めている節もあると我ながらにして思う。
その根拠。それを裏付ける根源。




ぼくの裏の存在。
姿に、口調に、性格に。
何から何までぼくと違う。
だからこそ、鏡に映ったぼくであり、同一なのだろう。
故にぼくの代理品。
欠陥製品に対する、人間失格。

そんな無関係に等しき人間関係を有したぼくだから、代替可能理論を割かし肯定的にみることもできるのだろう。
あくまで「的」であり、全てを肯定をしている訳ではないのだけれど。

兎にも角にも。
ぼくは「彼女」の代替品を姫ちゃんと定めてしまった。
正確には姫ちゃんの方が先代であり、「彼女」の方が後代なわけだけど。
しかしながら姫ちゃんと話している内にとある既視感を姫ちゃんに覚えていた。
脳裏に思い浮かんだのは、「彼女」。
不覚にも、不躾にも、重ねてしまった。
目の前でぼくと会話している紫木一姫(ひめちゃん)。
小柄な体格で、どこか儚げで、けれど元気で、場のムードメーカー。
幾ら夢とはいえ、否。
夢だからこそ、ぼくのそんなイメージが最大限に現れて益々「彼女」を重ねてしまう。


改めて言わせてもらうとここはぼくの夢だ。
前述の通り断言する訳じゃないけど、ここはそう信じたいと思う。
まぁ少なくとも現実世界ではないことは確かだ。

夢の中。
ぼくの記憶。
ぼくの記憶の断片。
ぼくの深層心理
ぼくの深層心理の欠片。

だから。
この姫ちゃんはぼくの偏見なる姫ちゃんのイメージの具現化。
それがこの姫ちゃんであり、本物の姫ちゃんでは決してない。
そんな事は分かっている。
確認するまでもなく、この姫ちゃんは云わば偽物であり、本物はもう何処にもいない。

けれど、楽しかったのもまた事実。

彼女と話していて、ぼくは楽しかった。
たくさんの人を殺したも同然のぼくがそんな幸せにありつけるなど本来は許されない。
ぼく自身分かっているつもりだし、姫ちゃんに関してもそのつもりであった。
けれど、そうはいかなかった過去がある。もしくは今がある。
よく云う話で亡くなってから気付く大切さと云うやつ。
ぼくの場合。死んでから。――――全てが片付いた後に気が付いた。
気が付いた。気が付いてしまった。気が付けた。
どの言い方が正しいのか寡聞にしてぼくが存じる術はないわけだが、結果は無論のこと同じである。

不謹慎な私情かもしれない。
不適切な感情かもしれない。
それでも言うのであれば、姫ちゃんと過ごした二ヶ月近く。

ぼくは楽しかった。

そしてぼくは否応なしに思いだしていた。
八月も暮れる頃、西東診療所にて彼女が死んだ姿を。

「――――そうなんだよなあ」

声は虚空へと消える、狭き骨董アパートの中だというのにもかかわらず、声はどこまでも遠くへと届いた様な不思議な感覚を覚える。
そんなどうでもいいところで夢だと確証つけつつ過去を振り返った。

あの時ぼくはらしくないほど取り乱した。
みいこさんがいなければ、こう言い方は卑怯かもしれないけれど今のぼくはいない。
同時に、姫ちゃんがいなければ、ぼくはここまで成長できるはずはなかった。

だからぼくは彼女が好きだったのか?
――いや。そうじゃないだろう。
それは結果論に過ぎない。


――――ぼくは、


「…………さて、そろそろお別れの時間だよ」

姫ちゃんの陰が、影が。
おぼろげになってゆく。消えてゆく。去ってゆく。
なんて儚いのだろう。
なんで夢は儚いのだろう。
なんと人は儚いのだろう。
姫ちゃんのかげが、亡くなってゆく。


――――ぼくは、姫ちゃんの、


「楽しかった」

姫ちゃんの顔は笑みで満ちていた。
こんなぼくとの会話でも、楽しんでもらえたのだろうか。
現実的なことを言うとただ単にぼくの夢であるからぼくの都合によりそうなっていたのかもしれない。
……けど、それでもいい。
それでも、ぼくは。
ぼくは、ぼくの知っている姫ちゃんを笑わせることはできたのだから。
それは十分に幸せなことではないか。

――――ぼくは、姫ちゃんの、あの無垢で、純粋な笑っている姿が、


「だから、今度は救ってあげる。姫ちゃんみたいな子を見つけちゃったんだ。とんだ迷子さんでね、ぼくがいないと何もできないんだよ」


――――大好きだったんだ。


ぼくがそう思うと同時に、姫ちゃんは笑顔のまま、消えてった。
口先が何かを描いていたが、生憎ぼくに声が届くことはなかった、それはきっとこれからも。



ぼくはデジャブを覚えていた。

《危険信号(シグナルイエロー)》紫木一姫と。
幽霊と名乗る少女――――八九寺真宵ちゃんと。


あぁ、成程。姫ちゃんの夢も見る訳だ。
自己完結。自己満足。
ぼくは一人で頷きながら、孤独寂しく納得していくのであった。


と。
その時。


瞬間の出来事だった。
ぼくの視界が真っ白となっていく。
ただ、それは何も夢の終わりではなかったらしい。


「――――や、初めまして。戯言遣いくん。僕の名前は安心院なじみ。親しみを込めて安心院(あんしんいん)さんと呼びなさい」


外見的特徴、内面的特徴ともかくとして、場所は変わらず骨董アパート。
ここにきてまさかの新キャラ登場である。



○落想/クマガワミソギ・ヤスリナナミ○


場面を変えて、この最強最悪及び最凶最弱な二人の旅路を見てゆこう。

重い足取りも仕方なしに(恐らく)学習塾跡の廃墟に向けながら、一応球磨川を先導に歩みを進める。
この調子でいけば、あと十分もすれば何ら問題も見せず学習塾跡の廃墟に到着すると思わしき距離まで進んでいた。
とはいえ、球磨川の体力の無さもさることながら、七実の方はそれ以上に体力は削れている。
何しろ、このエリア内のほぼ北から南を色々と寄り道もしながら来たのだ。
そもそもの話、通常レベルの人間でさえ無理難題とまでいかずとも、難しいことを成し遂げている。
それでいて持久力の無い癖に、彼女は果たしていた。

もしかしたら。
仮定の一つとして、彼女は見取ったのかもしれない。

匂宮出夢の《殺し屋》としての殺法を。
零崎人識の《殺人鬼》としての技術を。

その為の観察だったのかもしれない。
その為の診察だったのかもしれない。

殺しに長けた両者の先天的な《才能》を盗み見たのかもしれなかった。
故に、多少の体力の無さ、持久力の無さを補っていたのかもしれない。
――それを知るのは本人のみ。

そんな彼女はふと、一つの考えを思いつく。
別に放送が終えて直ぐにする、振る話でも無かったのかもしれないが、
特別先延ばしにするほどの提案では無かったので容赦の欠片も与えず話を振ろうとした。

「ところで、禊さん」

一応備考として記述しておこう。
とがめが死んでいることを既に知っていた七実にとって、放送なぞ取るに足らないものであった。
正確に言うと、それにより七花がどう動くか、という一抹の念が過ったことにはよぎったのだが、それも直ぐに通り過ぎる。

それにより七花に余計な邪念が振り払えたのであれば、それに越したことはないだろう、と。

七実は、七花と最高の形で決着をつけたいと思っている。
自分が虚刀流の体質故に負けたあのときとは違い、刀を使う気などない今回。
七花の傍らに「とがめ」という不確定要素が乱入するのは七実にとって面白くない。

それだと、圧倒的な力差を見せつけてしまうからだ。
当然の様に、七実の圧勝、という意味で。
そういった意味では、七実にとってとがめの死は非常に有益なものでさえあったいえるだろう。
良い起爆剤になってくれよるだろうと、寧ろ淡い期待を抱き始めているほどであった。

『……なんだい? 七実ちゃん』

一方の球磨川。
彼の場合、かつての仲間。
現在の形はどうであれ、確かに仲間と認識していた彼は、死んだらしい。

阿久根高貴が死んでいた。

異常事態だ。
非常事態だ。
球磨川禊にとって、それは駄目だ。――危険、レッドゾーン。

かの通常状態の黒神めだかがこの「負完全」球磨川禊を放っておかなかった理由の一つ。
要は球磨川禊は『仲間思い』なのだ。
形はどうであれ、表現の方法がどうであれ。中身の状態がどうであれ。
『仲間思い』と云うこと自体は変わらない。
良くも悪くも。
善でも悪でも。
弱い者の、愚か者の味方であり、仲間であり、友達でいたい。

そんな彼にとって、阿久根の死は重大で重要他ならない。
一歩間違えば、暴走に歩くあろう。
二歩間違えば、殺戮に走るだろう。
三歩間違えば、虐殺に飛ぶだろう。

――――ただ、幸いしてそれができないのが現状である。

鑢七実。
前日本最強の名に恥じず、強者であり、『過負荷』。
強すぎるが故に、過負荷となりゆる彼女が傍にいる以上、暴走してはいけない。
義務、そして責任。
『-十三組』という一つの組織の仮にも臨時にも頭首を任されている以上、
ここで暴走しちゃいけない。仲間を失った悲しみのあまり、仲間を減らしては意味が無さ過ぎる。

――落ち着け。
――落ち着け。

そう、心に言わせる。
成果あってか徐々に心は静かになってゆく。
荒々しい波を立てていた心は、最後に手を胸に添えた後、閑散として戻す。
『大嘘憑き(おおうそつき)』の名は伊達ではない。
自分の気持ちに、格好つけて、括弧つけて。
抑える、治める。偽りの鍍金を、心に被せていった。

最終的に、彼の顔には笑顔が戻る。
ニコニコとした、可愛らしい顔が球磨川の顔に映る。
そう言った動作の後、ようやく先の七実からの質問へと戻っていった。

「――いえ、何のことも無いのですが。わたしは不治の病に罹っている、といいましたよね」
『うん、可哀相だよね。本当』

ちなみにだが。
既にこの二人それなりに情報交換は済んでいる。

話を持ちかけたこと事態は確かに球磨川に間違いはないのだが、それに乗じたのは七実自身である。
先ほどみたいな泣き落としもすることなく、案外すんなりと、意外とすっきりと球磨川には身の分を話していた。
七実自身、違和感が無いわけではない。
寧ろ、違和感の塊に衝突していた。何故、話してしまったのか、と。
初めは邪魔さえしなければいい、と考えていたのに何故ここまで進展しているのだろう。
とはいえ、気付いていた。
自身の僅かな心境の変化に、気が付いていた。
それでいて、笑える。自嘲ではなく純粋な面白さという意味で。
要するに。

七実は友情に、ぬるい友情に浸っていた。

かつての七実風に言うのであれば、錆びている。
けれど、それもまた良いのかもしれない。――――と。
自然に行き着いた。
その事実は善と動くか悪と動くか。
両者共々、知る由はない。

閑話休題。
つまり互いにある程度の情報を握っているし理解している。
だからこそ、躊躇いなど見せず単刀直入で切り込んでいった。

「ですからその『おーるふぃくしょん』とやらでわたしの病を消すことは可能なのでしょうか、疑問に思ったもので」

《物語》の根本的塗り替え。
設定を無視して、キャラを破壊し、アイデンティティーの消滅を意味することとなる。
仮に成功できたとするならば、彼女の敵は限られてくるだろう。

例えば、鑢七花。
彼が対七実戦の時でさえとがめとの約束故、手を抜いていたのであればわからない。

例えば、哀川潤
彼女の場合、一戦で全てに片を付けないと後々その体質故七実が勝つのも難しい。

例えば、水倉りすか。
血を流せば、勝機は著しく衰えるに違いない。

挙げればいることにはいるのであろう。
ただ、云い方を変えればいるだけであり、いざやってみないことには分からない。

病の無い彼女の潜在能力が如何なほどなのか――――を。

誰も知らない。当人でさえも、それは分からない。
けれど一つ言えることは、とてつもなく――凶悪さが増すであろうということ。


病。
不治の病。
《神》が与えた彼女への罰、もしくは枷。

一億に及ぶ病魔。

一つ一つが、十割に限りなく近い致死率を誇る病魔を遠慮忌憚なく、肉体に埋め込んだ。
各々の病魔が慢性的に合併症を引き起こし、情け遠慮なく身体を責めまくる。
しかし彼女は。
彼女の天才性は、病魔までも拒絶した。
毒も、病気も、拒絶する。
どれだけ苦しく、どれだけ痛く、どれだけ死にそうであっても――彼女の身体は死を選ばなかった。
これ以上なく病弱で、どうしようもなく虚弱でありながら、ぎりぎりのところで踏みとどまって、彼女は生きるのだった。
死にぞこないという言葉さえ、ふさわしくない。
彼女は、そう――生きぞこないだ。

生き地獄。
少なくとも、この病魔は彼女にとって邪魔でしかなかった。
いくら桁外れの治癒力、毒の耐性などという《副作用》が身につこうが、そんなことどうでもいい。

彼女が持ちたかったのは、健康な体と、ささやかな夢。

健康な体。
言うのであれば、球磨川禊の『弱き身体』など、いい具合に良い的であろう。
ささやかな夢。
現――という言い方もおかしいが、当時日本最強鑢七花と最高の形で決着をつけること。

その為に、この病魔はあまりにも邪魔。
少なからず、七実の目論見通りに行くのであれば、今の七花は「全力」だろう。
文字通りの「全力」。
とがめが消えた今、約束、及び拘束。――そこまで七実は言わないが、錆を払い除けて対立するはず、ということには思い至った。
仮にそうなった場合。
七実は七花とどうなるであろうか。
あくまでとがめが生きていたのであれば、七花は惜敗とも言えない惨敗するのは分かっている。
事実としてそうだったのだから。
なら、なら――――。


 @



そして、球磨川の答えは――――――。




 @


そして、目の前に広がるは学習塾跡の廃墟。


一陣の風が舞う。

否。



勢いの良い“風圧”が、七実を襲った。



七実は飛ばされた。






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最終更新:2013年05月04日 04:30