今日にさよなら、明日におはよう。 ◆1GiZbsHFZI
雲は優雅に紺碧の海を泳いで、大地には葦が気持ち良さそうにそよぐ。
懐かしい土の匂いが鼻をくすぐって、琥珀色に輝く太陽は目の奥にじんじんと染みた。
風が吹いた。髪をさらって、肌を掠めて、遥か彼方へ吹き抜ける。心地良かった。
清々しい青空の下、青年は土を蹴り上げ地を駆ける。気温はほどほど、湿度は低い。
踊る肩、切れる息。額の汗は滑り落ち、シャツは生傷の多い肌に張り付く。足は浮かぶ雲の様に軽い。
何処にだって行けそうだった。何だって出来そうだった。
そこには、全てがあった。
「リッド! おっそーい!」
聞こえた声に、青年は足を止めて辺りを見渡す。さして苦労もせず声の主は見つかった。
目が痛くなる様な橙色のラシュアン染めのワンピースは、鬱蒼と茂る木々に映え過ぎるくらいだ。
少女――ファラ=エルステッド――は、背を木に預け、青年をじとりと睨んでいた。
「わ、わりぃ……ちょっと寝ててよ」
そう言って頭をぼりぼりと掻く青年へ向けられるのは疑いの眼差し。
「 ぁ ゃ ι ぃ 」
「いやいや嘘じゃねぇって!」
慌てて諸手をあげてリアクション。そう、嘘ではない。いや……厳密には嘘になるのかもしれないが。
なにせ自分は“起きてはいた”のだから。
いたのだが……不思議な事にこちらでは“寝ていた”らしい。
どうにも腑に落ちないし矛盾してはいるが、頭のリボンがそれを真実と言うのだから仕方がない。
青年は眉間に皺を寄せる。難しい理屈は分からないが、とにかくどうやら“寝ていた間に違う世界で起きていた”らしかった。
「……しっかりしてよね」
「わーってるよ。行こうぜ」
怪訝そうな顔を向ける少女へ適当な返事を投げ、青年は踵を返す。
「皆が来てんだって?」
暫く歩いて、ふと思い出したように青年は尋ねた。
「うん」少女が頷く。「暇が出来たから遊びに来たみたい」
青年は口をへの字に曲げた。“一体今はいつだ?”浮かぶ疑問に応える者はいない。
参ったな、と青年は舌を巻いた。何故って―――――彼には記憶がなかったからだ。
この世界に飛ばされた影響かは判らないが、正確な日時把握が出来ないようだった。
今がいつ、どのタイミングなのかが脳内ではっきりとしなかったのだ。
「……セレスティアからか?」
故に青年は足を進めながら恐る恐る尋ねる。自分の世界のことなのに、分かることは何もない。奇妙な感覚だった。
「? それ以外どこから来るのよ?」
少女は小首を傾げて言った。青年は何かを取り繕う様に頭をぼりぼりと掻く。
「え? いや、あはは! そ、そうだよなぁ。わざわざご苦労なこって。
……チャットとフォッグも一緒なのか?」
「チャットは一緒だけどフォッグは領主の仕事が忙しいみたいでお留守番だよ」少女は再び首を傾げた。「三日前に手紙きてなかったっけ?」
「あ? あー、ああ! そそそそうだったな! うん、そうだった!!」
訝しげな表情を見て苦笑い。当然、手紙なんて貰った覚えはない。
間違いなかった。此所は確かにエターニアで、インフェリアで……しかし自分の知らない世界だ。
記憶はネレイドを倒した辺りで途切れている。
フォッグがセレスティアの総領主になっているという事は、おそらくそう遠くない未来なのだろう。
「……ちょっと大丈夫? なんだか変だよ」
少女が心配そうな表情でこちらを覗き込む。ごくりと喉が鳴った。
「お、おう! 大丈夫、大丈夫」
「ならいいけど……それよりリッド」
なんだよ、とぶっきらぼうに青年が言った、その瞬間だった。
「そのリボン……何?」
石化する思考。どっと毛穴から噴き出す汗。無邪気な表情から飛ばされたあまりにも素朴な質問に、思わずぎょっとする。
しまったと舌を巻くがもう後の祭りだ。迂闊だった。取るのを忘れていた。
「……。……ああ、これはなぁ」
「“これは”?」
少女は繰り返す。その後一拍、ほんの一拍だけ間を開けて青年は口を開いた。
真っ直ぐな瞳だった。そこには僅かな曇りすらなかった。
「……友達がくれたんだ」
青年は頬を赤らめ微笑む。
「ナニソレ」少女はつられて控えめに笑った。「変なリッド」
「だろ」青年は苦笑を浮かべる。「俺も変だと思う」
ーーーーー嘘を吐くことだって、出来た筈だった。
むしろ変に友達だとか言うくらいなら、イメチェンだとかなんとか言った方が自然だったのかもしれない。
下手に突っ込まれて、いい言い訳が思いつく自信もない。
だけど。だけれど、そうはしなかった。したくなかった。
嘘を吐けばこのリボンごとおもいでも絆も決意も、なにもかもが消えてなくなってしまう気がしたから。
風車が回っていた。小鳥が唄を歌っていた。金色の波が麦畑に満ちていた。
故郷ラシュアンはいつもと変わらずそこにあって、世界はのんびりと欠伸をしながら正常に廻っている。
「よう、リッド。……。
…………………。
……おい、なんだその戯けたリボンは。王都の仮装パーティにでも行くつもりか?」
当たり前の日常。約束された平和と、呆れるくらいの自由。
いつも通りの皮肉。紺碧色の髪を弄りつつ、肩を竦める友人は相変わらずだった。
青年はほっと胸を撫で下ろす。そうだ。どうしようもないくらいに、ここが自分の居る世界なのだ。
「うっせーな。どうせ似合ってねーよ」
青年が嬉しそうに頬を膨らませると、学士はハン、と鼻で嗤い後ろの少女を一瞥する。
「聞いたかメルディ。まったくこいつときたらとことん馬鹿だ。
似合ってない自覚があるなら外せばいいだけの話だろう? 違うか?」
「なんだとお?」
額に血管を浮かべ、青年は学士へと足を踏み出す。
前言撤回。誰がほっとなんかするもんか。まったくもってこいつはいつも挑発が過ぎる。
「なんだ?」学士が言って、
足を踏み出した。「暴力で訴える気か? これだから野蛮な猟師は困る」
「お、おま。猟師を馬鹿にすると肉に祟られるぜ、キール!」
「ふん、馬鹿馬鹿しいな。祟りという迷信に近い概念が胡散臭くていかにも田舎らしい。
よし。まずお前には霊魂について話す必要があるようだな」
学士は大きく息を吸うと、人差し指を立てて捲し立てる。
「いいか、そもそもレオノア百科全書第三巻生命学第六十三項よると霊魂というやつはだな、生命体の約三分の二を構成する水晶霊が、
宿主である肉体が失われた事により空間に拡散せねばならない時、ある特異条件下によって拡散せず収束結合する現象によって生まれるものとされている」
「お、おい……ややややめろよ霊とか怖ぇって!!」
青年は怯えた声で叫ぶ。学士はそれを馬鹿にするかの様に溜息を吐いた。
「怖いものか。今からそれを説明するんだ」
「ワイール! キールがお話、面白いけどちょっと長いな。短くお願い!」
げ、と眉を顰める青年。どうやら乗り切らしい晶霊技師を尻目に視線だけで後ろの少女へ助けを求めるが、首をふって肩を竦めるだけだ。
諦めろ、ということらしい。そんな殺生な……。
「いや面白かねぇしだいぶ長ぇよ……なぁ、怖い話はもうやめようぜ?」
「黙って聞け。ここから先は僕の持論だが、これにはファキュラ説とそれに伴うカロリック流動が密接な関係にあると言えるだろう。
仮にファキュラ説が正しく、晶霊群に意思があるとするならば、肉体を構成するそれらは当然宿主に依存する。自然物とは逆にな。
さてここで問題だ。肉体的な死により宿主を無くした水晶霊群はどうなると思う?」
「んー、消えちゃうか?」
晶霊技師が小首を傾げて言った。学士は頷く。
「うん、まぁ正解に近いが少し違うな。答えは拡散だ。水晶霊群は肉体から乖離し大気を漂う。
しかしファキュラ説が正しいならば、そこにイレギュラーが発生する。
宿主の記憶を持つ晶霊群が元の形を取ろうと意識的に集合し、晶霊圧を増加させるケースがあるからだ。カロリック流動がこれには関係している。
仮に肉体の晶霊の群ないしは単体側に意思があるならば、僕達の意思が否定される事になりかねないから、この論は兼ね正しいと言っていい」
「ねぇメルディ、チャットは?」
「船でお留守番だよ。整備とか言ってたな」
「そっか。後でチャットも呼んで皆でご飯食べよ?」
「ワイール! ファラがお料理久しぶり!」
「オムレツ! ファラ、俺オムレツ食いてぇよ!」
「しかしながら、霊体は半透明で消える事や乗り移る事も可能だと言うし、だいいち目視可能というのは肉体がない前提からいくと不可解だ。
そこでカロリック流動を持ち出すのだが、その前に第一条件として水晶霊と光晶霊は相性が良い。水晶霊は光晶霊が生む屈折、反射、吸収、全反射といった反応を全てやってのけるからだ。
さて、カロリック流動はグロビュール歪曲にも関係するのは周知の事実だが、霊体によくある大昔の人物という設定や、半透明、消失などといった能力はこれで説明がつく事くらいはもう分かるな?
そう、グロビュール歪曲による長期スパンでの特定場においての晶霊圧力場の発生と、カロリック流動と水晶霊群の反応による蜃気楼の発生だ。
分かるかリッド?」
「いや……“そう”とか自信満々に言われても全然わかんねぇよ」
さっぱりだね、と溜息を吐く青年。学士は眉を潜めたが、直ぐにこほんと咳払いを入れて話を続けた。
「馬鹿は置いといてーーー「おい、バカって言ったかバカって!?」ーーー卵と鶏どちらが先かという話はここでは捨て置くが、
つまるところ霊魂というものは残留思念体に似たものだと考えられ、晶霊学で説明がついてしまうんだ。
これを元に考えれば、モンスターの肉体に水晶霊が含まれていない事や、
水晶霊が飽和して霧状になり現界しているいざないの密林などにおいて、霊魂、ひいては幽霊の類の目撃例が数多くあるのも頷ける。
即ちファキュラ説の立証は晶霊学の発展のみならず生態学やオカルト現象の解明においても欠いてはならない課題であり、一刻も早く取り組む必要があるのだが、
アカデミーや王立天文学会の頭が固いプライドだらけの老害連中は、自分達が支持してきた今までの常識が覆される事に強い反感を持っているため、
ドカターク効果の検証やオリナシ方程式の虚数解においても未だにーーー……」
目尻に涙を浮かべて大きな欠伸をする青年と、腕を組んで偉そうにふんぞり返る学士。
その間へ、半ば呆れたように少女が割って入った。
「ストップスト~ップ! そこまでだよ二人共!
久し振りの再会なんだからそのへんにしておきなさい!」
「いや二人ともって……明らかにキールが悪いだろ」
「つべこべ言わないの!」
ぼそりと零れた愚痴にぴしゃりと激が飛ばされ、へいへいと青年は溜息を吐く。
そこへ追い打ちをかけるように、
「そうだ落ち着け、情けないぞリッド」
と煽る声。青年はむっとして学士を睨みつける。
「……てめぇなぁ」
「こら! キールもいちいちつっかからないの!」
「そうだよぅ。リッドが可哀相。キールが意地悪な!」
「わ、悪かったよ……」
手が出る前に咎める少女達は流石というべきか。青年はしょぼくれる学士を一瞥し、やれやれと首の骨を鳴らした。
「……ったく。どいつもこいつも似合ってねー似合ってねーって言いやがって」
学士に説教する少女から離れ、青年は頭のリボンを弄りながら一人呟いた。似合ってないことくらい、分かっているのだ。
暁美ほむら。どちらでも良かったが、今考えてみれば彼女の一言が十中八九世辞だった事くらい、馬鹿な自分でも想像がつく。
でも。
「ワイール! そんな事ないよリッド! そのリボン、メルディがとっても好き!」
……でも、それがどうした。不満も怒りも、何もかもを吹き飛ばす様なとびっきりの笑顔でそう言ってくれる仲間が、一人だけ此処に居た。
「めるでぃ」
無意識だった。口をついて出た彼女の名は呆れるくらい間抜けな音で、自分でも吹き出してしまいそうだった。
「はいな」彼女はそんな気持ちを知ってか知らずか、儚げに笑って青年の手を取った。「メルディは此処に居るよ」
青年の掌に、柔らかな肉の感触と共に熱が染み込む。彼女の手はほんのり暖かかった。
当たり前だった。だって、彼女は“生”きているのだから。血潮が流れているのだから。この世界に立っているのだから。
「メルディ」青年は繰り返し、彼女の手を強く握り返す。声は情けなく震えていた。「ごめん、ごめんな……ごめん」
彼女を見ないようにしていた。何処か喋りかけられないように祈ってしまう自分がいた。
こちらで起きてから、青年は自分なりに考えたのだ。ノアを倒す為にワープさせられた人数は四人。うち二人がプログラムである自分と暁美ほむら。
世界が崩れる瞬間、元のマスターデータに返されたのは自分だけ。メルディやクレス=アルベインは居なかった。
そして元のマスターデータに触れる事が出来たのは暁美ほむらただ一人。
つまりーーーあの世界のメルディは、もしかしなくとも。
だから、罪悪感が拭えなかった。あっちではきっと救えなかったから。
誰かを守る為に極光術を覚えたのに、おそらくそれすら嘲笑して世界は彼女を奪っていった。そしてあの時の自分はそれすら知らなかった。
それがどうしても喉に引っかかって、後ろ髪を引っ張って、しようがなかった。
結果的に彼女は生きている。それでよかったのだけれど、良いわけがなかった。
許しを乞いたいわけじゃない。これはけじめだった。もう二度と大切な誰かを喪ってしまわないよう、自分に課す戒めの楔だった。
「なんで謝るか?」しかし、彼女は言うのだ。「メルディはリッドにいっぱいいっぱい、ありがとう言いたいよ」
「でも、俺は」
「リッド」
彼女の手が両頬に確りと添えられる。情けなく歪んだ顔が彼女の双眸に映っていた。
「そのリボンーーーーーーーーーーーとっても似合ってるな」
はっとした。熱い何かが青年の胸にこみ上げる。全身が震えるようだった。
リフレインする記憶。フラッシュバックする台詞。ふと頭に過ぎる奇跡に近い可能性。
その言葉をトリガーにして、雪崩の様に全てが押し寄せた。
「メルディ、お前、まさか」
騒がしく高鳴る心音。焦点の合わぬ瞳。青年の言葉は赤子の様に辿々しかった。
目の前の彼女は、やはり笑って頷く。
「うん。全部、リッドが“おもいで”な」
「へへ……なんだよ、ったく」
青年は気の抜けた表情で嬉しそうにそう呟くと、小さく鼻を啜った。
「アリガト、リッド。この世界を守ってくれて」
少女は青年の顔から両手を離すと、くるりと回った。髪が微風に揺れて、桃色のワンピースががふわりとバルーンを作る。
「メルディ、幸せだよ」
嗚呼、なんてことはなかったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーその一言で、充分過ぎたのだ。
「おいお前ら、こそこそと何の話だ?」
無粋な奴の無粋な一言にあっと言う間に現実に戻され、青年は苦笑した。ぶちこわしだっつーの。
「知らない! 意地悪キールには内緒だよう」
「うぐ。な、なんだよそれ……」
あかんべえをする晶霊技師にあからさまに動揺する学士を見て、青年は思わず吹き出した。
嗚呼、成る程これは確かにぶちこわしだ。でもーーーーーーそれも悪くないと思うのは、なんでだろう。
「お? なんだキール傷付いたのかよ?」
「だ、黙れ!」
「ちょっと二人共!」
「キール走ったらあぶないよぅ。また今朝みたいにこけちゃうよ」
「おい聞いたかファラ。今朝みたいに、だってよ。ぷぷぷ」
「よ、余計な事は言うなお前! こいつが調子に乗rだぶべっ」
「「「……あ」」」
それから船の整備に精を出す海賊と合流して、青年達は少女の家で沢山話した。
学士の転け方があんまりだったとか、セレスティアは今異常気象が多発して大変だとか、宇宙が綺麗だとかなんだとか。
暫くして、海賊の少女が今日インフェリアに来た理由を青年達に告げた。近況報告ともう一つ、歓喜の町ジイニへ皆で行くからなのだと。
「しかしなんでまたジイニなんだ?」
青年が肉を頬張りながら尋ねる。
わざわざジイニへ行くだなんてそんな物好き、ギャンブラーくらいしかいないと思っていたからだ。
どうやらそう思っていたのは青年だけではなかったらしく、学士がうんざりした顔でパンヤ麺から箸を離した。
「まったくだよ。でもチャットが行きたいと聞かなくてな……。
一人で行けと言ったんだが、なんでもジイニでは12才以下は同伴が要るらしいんだ。
で、どうせ遊ぶならリッド達も誘うとメルディとチャットが言い出した」
「でもちゃんと公平にするよう多数決にしたじゃないですか」
「多数決!」海賊の茶々に学士が裏返った声を張り上げた。「多数決だって!?」
何が公平なもんかと眉間に皺を寄せると、学士は続けた。
「あれを多数決と言おうもんなら戦争が起きるね。いいかチャット、ああいう結果が分かりきってるのは“数の暴力”と言うんだ。
当然の様に僕が負ける。まったくもって始末が悪い茶番だ」
肩を竦ませ学士が悪態を吐く横で、けれども海賊はにかりと笑った。
「いいじゃないですか。キールさんもなんだかんだで皆さんと会いたがってましたよね?」
「……ほぉ~?」
「なぁにキール、私達にそんなに会いたかったの?」
「そうだよぅ。キールが素直じゃないな!」
「ば、ばばっ、馬鹿を言えっ。だだ誰がお前らなんかにああああ会いたいもんかっ」
嫌らしい笑みを浮かべた青年達を尻目に、学士は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべ、咳払いを一つ。
「ごほん。ま、まぁそれは置いといてだ。
ティンシアからジイニへ、サイグローグという人物からあるアーケードゲームが輸出されたそうなんだ。それが目当てだよ。
世界で初だから見たいそうだ。サーバーという新技術を使った珍しいシステムらしくてな、プログラムが気になるんだと」
へぇ、と少女が呟くと、隣の海賊が銀色のフォークをくるくると回しながら口を開いた。
「そのアーケードゲームの開発元はアークシステムワークスと言うのですが、ぱっと出の企業で誰も知らないっていうのも気になるんです。
信じられますか? ティンシアから輸出されたくせに、街の裏の顔でもあるフォッグさんやアイラさんも知らなかったんですよ!?
一体誰が資金援助して、誰があそこまで高度なものを完成させたのか……下手をすれば軍事用にも使えるとの噂ですし」
ぐんじよう、と少女は繰り返す。それが本当ならぞっとしない話だ。
「どうでもいいけどよ、あぁけぇど……なんだって?」
青年が皿の上のオムレツをかっさらいながら尋ねる。学士はやれやれとかぶりを振った。
「ふん。“アーケードゲーム”だ。世界を旅した癖にそんな事も知らないのか?
この程度セレスティアでは常識だぞ。雷晶霊に謝れ」
「お前はいちいち嫌味な奴だなぁ……ゲームくらい知ってら。ウィスみたいなもんだろ?」
覚束ない動きで肉を切り分けながら青年が言ったが、学士は呆れた表情で黙り込む。
確かにウィスはゲームだが、カードゲームであってアーケードゲームではない。
「……。聞いたかメルディ。こいつジイニのカジノに行った事があるくせに、ゲームのなんたるかを何も理解してないぞ」
「メルディもダンスしか覚えてないよ?」
「俺はインドアな遊びは苦手なんだよ」
青年がナイフを片手に肩を竦ませた。学士はふぅと息を吐いて箸を置くと、ナプキンで丁寧に口を拭き水を飲んだ。
その動作が何を意味するのか青年は理解すると、逃げるように隣の少女へ視線を配る。
「おいおい、こりゃぁまた始まるぜファラ」
「知らない。リッドが悪いんだもん」
「勘弁してくれよ……」
しかし少女はどこ吹く風。すまし顏でソディを自分の料理へ振りかける。
「いいかリッド。アーケードゲームというのはだな、雷晶霊の力を地晶霊を利用して制作された基盤に流す事で起きる反応を利用した、業務用ゲーム機器の事だ。
そもそもここで言う“ゲーム機器”という単語が何かというのを一から説明すると、セレスティアの文化と歴史に言及しなければならなくなる」
「いや、もういいからメシ食おうぜ……」
「いいや駄目だ。そう言って逃げるのはお前の十八番だからな。空腹など後で満たせばいいだろう?
……そうだな、先ずはお前にも理解できる様にティンシアを中心にして起きた産業革命と、ジイニがその特異な文化を守る為に独自に築いた交易ルートについて話そう。
そもそも何故ティンシアが職人の街と呼ばれ栄えているかだが、これは意外にも歴史は新しく、自由軍シルエシカ発足の際に多額のーーー……」
「ワイール! ゲームゲーム! みんなでやったらきっと楽しい!」
「きっとそうでしょうね!」
「気分乗らねぇなぁ……」
「大丈夫! イケるイケる!」
胸元のペットを抱きながら晶霊技師の少女がハミングすると、それに合わせて胸元で小動物、クィッキーも踊り出す。
青い毛並みが震えると海賊の少女は泣き出して、青年はそれを好機と海賊の皿からオムレツを盗んだ。
話を聞け、と怒る学士に行儀の悪い青年を怒る少女。夜のラシュアンに響く歌い声と泣き声と、罵声と食器の音。
宴はいつまでも続いて、夢のような時間が流れてゆく。窓の外には満点の星、台所からはシチューの匂い。
遠く森から梟が鳴いた。少し冷たい風が吹いて、暖炉の炎はぱちりと揺れる。
桃色のリボンが揺れて、遠く遠く、笑い声がこだまする。
それでいい。それが青年の守りたかった景色なのだから。
何処にだって行けそうだった。何だって出来そうだった。そこには全てがあった。
18歳の俺達には世界は広すぎて、けれど世界の何もかもを知ってしまった。
ーーーそう思っていた。
そしてそれは作られたものなのだと彼女は言った。でもそれが真実だろうがそうでなかろうが、何も変わらない。
目の前の笑顔は、空は、風は、光は……嘘じゃないから。
俺達は此処で生きて、生きて、生き続ける。明日は誰にも分からない。未来は誰にも見えやしない。だから、生きてゆく。
あの地平線の向こうには、何がある? 海の底は? 宇宙の向こうは? 答えはきっと、セイファートにだって分からない。
俺達は世界を知った気になっていただけで、まだ何も知らないちっぽけな人だった。
地に足を立て、息を吸ってーーーーーーーーー俺達はこの世界を歩いてゆく。
【リッド・ハーシェル 生還】
最終更新:2013年03月31日 21:47