Happy Birthday~春香編~

Happy Birthday~春香編~


 4月3日。
 エイプリルフールも終わり、いつもと変わらない日になるはずだった。
 ――なのに、

「あ、角曲がった。走ろうシン君!」
「へーい」
「ストップ、隠れて!」
「へーい」
「ふぅ、危なかったぁ。すぐそこのショーウィンドウの前で立ち止まってるなんて」
「へーい」
「シン君? どうしてさっきから元気がないの?」
「……無理やり引っ張りまわされつつストーキング紛いなことさせられて元気出せってのも変な話だと思わないか
春香?」
「(のヮの)」
「だからこっち見……もういいけどさ。あ、美希とプロデューサー動いたぞ」
「え? わわっ、ホントだ! 急がないと!」
「へーい」

 ……なんでこんなステルスゲームみたいなことになってしまったんだろう?
 そんなことを考えながら、シンはとりあえず事の発端を思い出してみることにした。


 雑居ビル内の一室から賃貸ではあるものの一軒家へと仕事場を変えて早数ヶ月。新しい職場、新しい環境に
ようやく慣れてきた頃だった。
 帰る場所であり寝食を過ごす場所でもあった前の事務所と別れることにシンは多少寂しさを覚えたものの――ちなみに今は近場のアパート暮らしである――、それだけ彼女たちが世間から評価されていることでもあるのだ
からと素直に喜ぶことにした。

「おはようございます」
「あら、おはようシン君。今日はずいぶん早いのね?」
「小鳥さんほどじゃないですよ。早いとこ移転の間に溜まった仕事を片付けないとみんなに悪いし」
「うう、せめてもっと人手が増えればねぇ」

 事務所は大きくなれど事務員は増えず、結局は役割だけが変わらず仕事だけが積もっていくという悲惨な
現状がここにあった。

「プロデューサーと俺もまた手伝いますから。律子さんも手を貸してくれるらしいですよ」
「そうねぇ……でも今日はプロデューサーさんは美希ちゃんとお出かけだし、律子さんも外でお仕事だし」
「だから俺が来たんじゃないですか。コーヒー淹れてきますけど、どうします?」
「思いっきり濃いのお願い。もう二度と眠れなくなるくらいの……」

 背中から滲み出るどんよりとしたオーラを見て多少引きながらも「了解」と返してシンは奥の給湯室へと向かった。

「はぁ……まだまだ忙しいのは続きそうだな」

 コーヒーメーカーに水を注ぎ、棚を開ける。雪歩用の煎茶や伊織用の茶葉が入った袋をかき分け、コーヒーの
粉が入った瓶を取り出す。適当に四人分ほどサーバーに粉を入れ、スイッチを押す。
「とりあえず、これでなんとか」

 そう呟いたとき、シンの視界に白い紐のようなものが飛び込んできた。
 ――? なん……
 思考の硬直、それが致命的な隙となって、
 首が絞まった感覚に息を詰まらせ、シンはそのまま部屋の奥へと引きずり込まれた。

「――ゲホッ……な、なんだ!? 何が起こった!?」

 咳き込みながらシンは辺りを見渡す。場所は給湯室のすぐ傍の小部屋、今は物置として使っている場所だった。
 普段なら誰も立ち寄らない場所、そこに、

「おはようございます、シン君!」

 満面の笑みを浮かべた春香がいた。

「え? あ、あぁ……おはよう」

 いつも通りの様子に反射的にシンは返事を返し、

「って違うだろ! 何普通に挨拶してるんだよ春香!?」
「え? だってアイドルは朝も昼も夜でも『おはようございます』って教えられたんですけど……?」
「そういう意味じゃなくて! っていうかさりげなくロープを処分するなっ!」

 今しがた部屋の隅にポイッと捨てられたロープ――シンの首に引っ掛けられてたものだ――を拾い上げて
シンは叫ぶ。動かぬ証拠を突きつけられてに春香は少しだけ困った顔になり、

「それで少しお願いがあるんですけど」
「全力でスルーかよ!?」

 スッパーン! とロープを地面に叩きつけてシンは地団太を踏んだ。

「ちょっとだけ私に付き合ってもらえないですか?」
「嫌だ。ロープを使った頼みごとにはろくなもんがないって相場は決まってるからな」

 ほかを当たってくれ、と手をひらひらと振りながらシンは事務室へと足を向けた。
 その背中に、春香の寂しそうな声がかかった。

「――そんなぁ、シン君が手伝ってくれないと私プロデューサーさんのことを(追いかけて 逃げるフリをして
そっと潜る 私マーメイ)しちゃいそうなのに……」
「よぉしわかった! まずは話を聞かせてもらおうかなっ!」

 あまりにも危険な内容に瞬時に脳内フィルターまでかけたシンはその場で回れ右をして春香に向き直った。
 ――このまま放っておくと何をやらかすかわかったもんじゃない……
 そんなわけで、シンはこっそり事務所を抜け出して春香のストーキング……もといスニーキングミッションに付き
合う羽目になった。

「あれ? どうしたんですか頭なんか抱えて」
「……自分の周りの人間関係を一から見直したくなってきた」

 思えば向こう――コズミック・イラでも変なヤツの方が多かったかも……と軽く絶望しかけたシンであった。自分
のことはとりあえず棚に上げたが。
 春香の頼みとはプロデューサーと美希の後を一緒につけてほしい、ということだった。
 春香が二人が今日出かけるということをどこで知ったのかシンは気にならないわけではなかったが、そこを追求
したところでどうにもならないことは分かりきっていたので何も言わず従うことにしたのだった。

「なんでもいいですけどプロデューサーさんと美希には絶対に見つからないでくださいね。別にシン君がいくら凹んでも止めはしませんけど」
「今日はいつにも増して毒舌が炸裂してるなぁ」

 最早シンの方に一瞥くれることもなく、春香は壁に隠れながらプロデューサーと美希に視線を釘付けにしてい
る。工作員でもない元パイロットのシンだが、春香の身のこなしに尋常ではないスキルの高さを感じていた。
 まぁ往来のド真ん中でこんなことをしていれば二人にバレなくても周りの人間にはバレバレなのだが。

「なぁ春香、何でこんなことをして……」
「しっ! 動きました。この距離を保ったまま付いて行きましょう! あ、いざとなったらこのダンボールを使ってく
ださいね」
「へーい」

 未だに目的が不明瞭なまま、シンは春香の後ろについて行った。
 プロデューサーと美希は並んで歩き、会話を交えながら店頭に並んだ洋服を物色したりショーウィンドウの前に
立ち止まって中の品々を眺めている。いわゆるウィンドウショッピングだ。
 ――大丈夫なのか? 顔も隠さないで。傍から見たらまるで……
 デートじゃないか、と考えたところでシンはようやく春香が休日返上してまでここにいる理由を察した。

「……盗聴器とか用意しとけばよかったかな?」

 何か危ない独り言が聞こえた気がしたがそんなことはなかったことにしてシンは溜め息をついた。
 ――まぁ、確かに重要なことなんだろうけど……
 これじゃ自分がいる必要がないじゃないか、と頭の中で呟きながら視線を外した。その先にあったCDショップを見て、あることを思い出したシンは春香に声をかける。

「そういえば春香、この前出したシングルがウィークリーのトップ30に入ってたぞ」
「えっ、ホントですか!?」

 どうせまともに聞いてないだろうと何気ない調子でシンは告げたのだが、春香は弾かれたように振り向いた。

「あ、あぁ。昨日付けのチャートでな」
「トップ30……うわぁ、うわぁ」

 ほころぶ顔を抑えようとするように両手を頬に当てて喜ぶ春香の様子に、シンはふと春香がアイドルを目指す
理由を思い出した。


 ――歌が好きだから、か。
 子供の頃からの夢。それを叶えるために春香はアイドルの道を選んだとシンはプロデューサーから聞いていた。
 素人目に見てもどこにでもいそうな印象の少女。歌、ダンス、そして容姿。千早ほど歌に技量があるわけでもな
く、真ほどダンスが得意というわけでもなく、美希ほどスタイルがいいというわけでもない。良い意味でも悪い意味
でも没個性的な少女。
 だが、そんな彼女が辿り着いたのだ。
 トップ30。この数字だけではそう大したものでもないように聞こえるかもしれないが、売り上げ枚数は数千枚にま
で上る。単純に考えてもそれだけの人間が春香の歌を評価したということになる。
 そのことに、少なからずシンは驚嘆の感情すら抱いていた。
 そして考える。コズミック・イラ、自分がいた世界でもし議長の掲げた『デスティニープラン』が存在し、そこで
春香がこの世界のようにアイドルを目指していたら?
 春香だけではない。他のアイドルたちも秀でたところもあればそれすら台無しにしかねない短所を大なり小なり
抱えていた。そんな彼女たちが、この世界のようにアイドルという仕事に就けていただろうか?
 ……仮定に意味はない。それでもシンはそのことを考えなければならないと思っていた。
 二つの世界を知る、ただ一人の人間として。

「――こんな場所でなんだけどおめでとう。プロデューサーも喜んで……」

 そこでプロデューサーたちに視線を戻し、シンはすぐさま顔を90度横に傾けた。

「……? どうかしたんですか?」
「なんでもない! 別になんでもないから!」

 慌てて声を張り上げるが、シンの様子に何か怪しさを感じた眉根を寄せながら春香は背後を振り向く。

「バッ、やめっ!」
 シンが気付いたときにはとき既に遅し、春香の視界にはバッチリと二人の姿が入っていた。
 ――ウェディングドレスをガラス越しに眺めながら、楽しそうに笑い合っているプロデューサーと美希の姿が。

「…………」
「……あの、春香さん?」

 おそるおそるシンは声をかけるが反応はない。例えようもない怖気に襲われながらもシンは回り込んで春香の
表情を確認しようと回り込む。

(の皿の)

 ――あ、俺死んでた。
 歯を食いしばりながら眼球は限界まで別の方向に向けられているという凄まじい形相にシンの鼓動がコンマ
数秒機能を停止した。
 一瞬とはいえ氷のように冷たくなった自分の身体に一足遅れた恐怖を感じつつ、それでもシンは春香に話しかける。

「……春香、変な気は起こすな、よ?」

 遠慮がちにかけられたシンの声を聞き、春香はハッとして表情を元に戻した。

「あ、え、やだっ……私ったらどうして」

 正気に戻ったか、とシンは安堵の息を吐く。

「よかった、落ち着いたか」
「は、はい……こんな人もいっぱいいるとこじゃマズイですよね」
「人がいなかったら何する気だった!? というかその刀どっから出した!?」

 いつの間にか春香は一振りの刃を携えていた。
 それも事務所になぜか補完されている模造品ではなく、見事なまでに装飾されたものを。

「やだなぁシン君。こんなもの使う気なんてないですよぉ~」
「目が笑ってない! そしてまた明後日の方を向いてるし!」

 そうツッコミを入れてからシンは慌ててプロデューサーたちへ視線を戻す。ここで気付かれたらいろんな意味で
危険なのは明白だった。
 幸い、二人はこちらの騒ぎが聞こえていないのかショーウィンドーの方を向いたままだった。
 ただし、
 ――あの、なんで腕なんて組んでるんでしょうか……?
 予想の斜め上を行く最悪の展開にシンは目眩から夢の世界に逃げ出そうとして、

 キン、という鯉口を切る音に現実へと引き戻された。

「待て春香! せっかく評判が上がってきたってのにそれはヤバすぎるから!」
「離してください! もうこうなったらこの閻魔刀でスパッと(物理的に)忘れるか地獄門を開くしかないんです!」
「今ボソッと物理的にとか言わなかったか!? というか何さらっと恐ろしいこと言ってるんだよ! そしてますます
どっから持ってきたんだそんな代物!? とにかくもうやめろーーーーーーーーー!!」

 羽交い絞めして春香を抑え込みながらシンは力の限り叫んだ。
 ――あぁ、もう駄目かもしんない。
 自分と同年代の少女とは思えない力強さにシンはもう何もかも投げ出したくなった。

「……二人とも何してるの?」

 突如脇から投げかけられた聞き覚えのある声にシンと春香は同じ方向へと目を向ける。
 そこにはどこか呆れたような顔をした美希、そしてキョトンとしたプロデューサーがいた。

「あ、いや。ちょっと偶然そこで会って」
「そ、そうそう! 偶然なんですよ偶然!」

 慌てて離れて――春香はちゃっかり刀をどこぞへ隠しつつ――シンと春香は事前に打ち合わせたとおりに
口裏を合わせた。





「プロデューサーさんたちこそどうしたんですか? あ、まさかみんなに隠れてデートとか~なんて言っちゃったり
して~」

 口調こそおどけてはいるものの、すぐそばから発せられる異様な気配にシンは半身に冷汗をかきながら事の
成り行きを見守るしかなかった。
 別にそういうのじゃないんだが、となぜか言いにくそうにプロデューサーは口篭ったが、美希と視線を合わせて
頷きを返し、綺麗に飾り付けられた小さな袋を春香に差し出した。

「春香、誕生日おめでとう」
「え……?」

 唐突な展開に春香はもちろんシンまでもが呆然としながらプロデューサーの手の中にあるプレゼントを見た。

「ホントはもっと早く用意して渡すつもりだったんだけど……最近忙しくなって暇を見つけられなくて」
「それで美希と一緒にプレゼント何にするかなって探してたの」

 ――そういえば、今日って春香の誕生日だったっけ……
 そんなことを今さら思い出しながら、シンは春香へと目を向ける。
 プロデューサーの言葉を聞いているのかいないのか、春香は「はぁ」と呟きながら両手でプレゼントを受け取っ
た。上目遣いに開けてもいいかと問いかけ、頷きを確認しておそるおそる袋を開ける。

「うわぁ……」

 中から出てきたのは、淡いピンク色のリボンだった。その優しい色合いに春香は頬を染めながら目を見開いていた。
 ――いちおう、一件落着……か?
 正直なところ勘違いで引っ張りまわされたシンは思うところがないわけではなかったが、ともあれ無事に済んで
よかったと胸を撫で下ろした。

「いや~、でも突然でゴメンな。美希もせっかくの休日なのに付き合わせてすまない」
「別に気にしてないよ? 良いもの買ってもらったし」
「本当にあんなのでよかったのか? もっといいもの頼んでも大丈夫だったのに」

 いいの! と言って髪をかき上げる美希の左手には指輪がはめられていた。
 ……薬指に。
 再い悪寒を感じたシンは、見てはいけないと分かっていながらも春香の顔を見て、
 ――あ、また俺死んだ……
 二度目の臨死体験を味わった。


 数時間後、心身ともに疲れ果てたシンが事務所に戻って冷めたコーヒーを片手に笑顔で出迎えた音無小鳥に
何度も土下座を繰り返したのはまた別の話である。

「でも春香も大変だったろうなぁ。スキャンダル対策にプロデューサーと美希を休日返上で見張ってたなんて」
「……シン君、女の子を泣かさないようにね?」
「へ?」

 ……時空を越えてシンに無数のツッコミが殺到したのもまた別の話である。





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最終更新:2008年09月22日 02:13
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