Happy Birthday~千早編~
「CM明けまーす! 5、4、3、2……」
カウントダウンが終わり、ブース内に穏やかな音楽が流れ始める。マイクの前に座る千早が少し緊張しながら
DJの質問に答えていた。
今日の仕事はラジオのゲストだ。もちろん音楽関係の仕事なのだが、この番組のDJは音楽以外の話題も積極
的に振ってくるので千早にとっては難しい仕事かとシンは考えていたのだが……
「へぇ……」
ブースの片隅で小さく感嘆の声を上げる。ラジオを滞りなく進み、話題もそれなりに弾んでいた。以前の千早か
らは想像できない姿だった。
――秋スペあたりからだったか? こんな雰囲気になったのは。
千早と会ってすぐの頃を思い出してシンは苦笑する。あの頃は共通の話題もなく、移動の間はずっと沈黙が
続いていた。その他にもなんとかテンションを上げようと試みても上手くいかなかったり、逆に少しでもしくじれば
滑り落ちるように落ちていく一方だったり……
――あ、なんか涙出てきた。
悲しいわけじゃない、今日まで歩んできた苦難の日々――主にシンが被っていることだが――を思い出して
懐かしい涙が出てきただけだと自分に言い聞かせてシンは膝を着きそうになる自分をなんとか留まらせた。
「ってあれ、電話だ」
微細な震動を繰り返す携帯電話を取り出す。発信者の名前を確認し、シンはディレクターに許可を取ってブースの外に出て通話ボタンを押した。
「はい」
『もしもしシン? 今大丈夫?』
「少しくらいなら大丈夫です。どうかしたんですか、律子さん」
珍しいな、と胸中で呟きながらシンは話を聞くことにした。事務員も兼任している律子は765プロのスケジュー
ルも常に把握している。それこそプロデューサーよりもプロデューサーらしく、である。その律子が仕事の最中に
こうして電話をかけてくることは非常に稀、というよりもシンにとっては初めての出来事だった。
『ちょっとね。あ、近くに千早いる?』
「俺がブースを出たんでここにはいませんけど……千早に用ですか?」
『ううん、違うの』と前置きして一呼吸間が空く。
『……実はね、少し準備に手間取っちゃって。ほら、今日はみんなほとんど出払っちゃってるから』
ああ、とシンは相槌を打つ。もうすぐ二月も終わり、季節の変わり目であるこの頃は多方面で仕事が増えてくる
時期だった。あずさと美希はグラビア、雪歩はCM、春香と真は新曲のレコーディング、千早もこの後に今度出す
CDに使うジャケットの撮影を控えているのだ。
『それでできれば帰ってくるのを遅らせてほしいのよ。1時間……最低でも30分くらい』
「はぁ、まぁそれくらいなら大丈夫だと思いますけど」
写真撮影を行う場所はシンも千早もあまり縁のない場所である。少し辺りを見て回るくらいなら千早も問題ない
はずだ。
だが、それ以前の問題があった。
「でもいったい何の準備してるんです? なんか千早には伏せてるみたいですけど」
……しばらくの間、沈黙が続いた。電話越しに膨れ上がった異様な気配にシンがたじろいでいると、感情を
押し殺したような声で律子が語りかけた。
『……シン、今日が何の日か知ってるかしら?』
「きょ、今日でありますか?」
『そう、今日。2月25日』
シンの背中に冷汗が滲んだ。もし間違えたら命はないかもしれない……そんな予感すらあった。
「え、えーと……2月25日、ですよね?」
返事すら返ってこなかった。答え以外を聞く気は皆無ということを悟ってシンをさらなる焦りが襲う。
―― 2月25日、節分もバレンタインもとっくに終わったし。じゃあいったい何が? 何があるっていうんだ!?
焦りと未知の恐怖が頂点に達したとき、シンの頭の中で何かが弾けた。
――見えた!
「世界人口が65億人に達した日!」
『全然違うわよ!』
「え? じゃあ戦闘機のF-1がロールアウトした日?」
『それも違う!』
「えーと、ルノワールの
誕生日」
『微妙に近づいたけどまだ違う!』
その後いくつか頭に浮かんだことを端から言ってみたシンだったが、数撃ちゃ当たるなどという甘い考えが通じ
るはずもなく、
「…………えと、すいません分かりません」
心の中で白旗を振った。
『まったく、むしろそこまで別の答えを出せたことに驚きを通り越して呆れるわ』
「それで、答えはなんでございましょうか?」
『誕生日よ! 千早の誕生日!』
――千早の、誕生日?
そう言われてシンは頭の中の引き出しから千早のプロフィールを引っ張り出す。それまでの苦労がなんだった
のかというほどにあっさりと答えに行き着いた。
「あー……」
『あー、じゃないわよ! その様子だとプレゼントも用意してないでしょ?』
当然のことだった。今気付いたことの準備などしているわけがない。
この様子だと他のみんなもプレゼントは用意してるだろう。プロデューサーも適当なようでこういうことに対しては
気が回るタイプである。
つまり、現状でプレゼントがないのはシンだけという可能性が高いということに……
「どどどどどど、どうすればいいでしょうか律子さん!?」
『あぁもう、私に聞かないでよ。こっちはこっちでパーティーの準備でいっぱいいっぱいなんだから』
はぁ、と深い溜息をつき、気を取り直して律子は提案する。
『とりあえず、帰り際にでも何か買ってあげたら?』
「でもそれだと千早にバレバレな……」
『そこはもう諦めなさい。何も用意してないより正直に話して千早が欲しいものを買ってあげるほうがよっぽどいいわ』
……確かに、今の状況ではシンが取れるベストの選択肢はそれしかない。特に千早を相手に間に合わせの
プレゼントを急いで用意しても逆効果にしかならないだろう。
「分かりました。それで行ってみます」
『よろしい。あ、ちゃんと時間は伸ばしなさいよ。早すぎず遅すぎずにね』
微妙に難しい注文を残し、律子は電話を切った。
「プレゼントか、どうすりゃいいんだよ……」
天井を仰ぎ、シンは途方もない難題を叩きつけられたように嘆いた。
ラジオの収録、そしてジャケット撮影も滞りなく終わり、シンは早速千早を誘うことにしたのだが……
「街を? でも事務所に戻って報告しないと」
「あぁ、それならもう俺が済ませたから」
「そうなの? だけどたしか今日新曲のサンプルが届くはずだから、すぐにでも確認をしたいのだけど」
千早は早く事務所に戻りたいようだった。千早の性格を考えれば当然だろうが、それではマズイとシンの頭の
中で警鐘が鳴り続ける。
――このままじゃプレゼントも用意できずにパーティーの準備も中途半端の事務所に戻ることに……もし、そう
なったら、
あーら、頼まれ事も満足にこなせない凡俗なマネージャー殿じゃないですか。
――あ、あの……律子さん? もしかして怒ってらっしゃいますでしょうか?
い~え~? ただちょ~っと何もかも吹き飛ばしたい気持ちになっただけ。
――ってやっぱり怒ってるんだろ!? いえ怒ってるであらせられてるんじゃないでございましょうか!?
うふふ、何を言ってるのか分からなーい♪
――何キャラぶっ壊してるんですか!? げっ、そのメイド服はいつぞやの……!
石焼鍋にする? 爪剥ぎ機にする? それともあっさりス・パ・ス(ショットガン)?
――ノォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!
死ぬる、そんな未来がシンには見えた。
「ま、まぁそれも後でいいじゃないか。それよりぐるっと街を周ってみよう、そりゃあもう一時間くらいたっぷりと!」
「はぁ……でも、」
「だ~! でもじゃない! とにかく俺に誕生日を祝福させてくれ!」
「え?」
……………………
長い、実に長い沈黙が続いた。
シンは叫んだ恰好のまま、千早は驚いた表情のままで固まっている。
そして数分が経過し、
「って言っちまってどうするよ俺ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」
シンがその場に崩れ落ちた。
「うぉぉぉぉぉぉ! こうなったら埋まる! 穴掘って埋まってやる! 誰かア○グ持ってこい! ア○ガイもいいけど今回は不許可!」
「ちょ、ちょっと! 雪歩じゃないんだから」
「ゴメン千早、ちょっとそこまでマントル抜けてブラジルまで行ってくる。生きて帰ってこれたら本場のコーヒー豆でも……」
「落ち着きなさい!」
「はい」
よく透る声に叱咤されビシッ、とシンが立ち上がった。しかしお互い何が起こったのか分からない様子でキョトン
とした顔になる。
「ご、ごめんさなさい! つい叫んでしまって」
「いや、こっちも取り乱して……その、ごめん」
気まずい雰囲気に二人揃って視線を逸らす。周囲からの視線も集まっていたのだが、「なんだ765プロか」
「765プロならしょうがないな」となぜか皆納得して去っていった。
「でも、別に私は誕生日なんて気にしてないから。この年齢になればはしゃぐことでもないと思うし」
ただの記念日でしょう? と言う千早にシンはわずかに眉根を寄せた。
「……分かった、じゃあ俺は千早の
誕生日プレゼントを選びたいんで付き合ってくれ」
もはやなりふり構わず本音を告げるシンに、千早は呆れた顔をしながらも微笑んでいた。
「そういうことなら、少しだけ」
「よし、じゃあ行くか!」
こうして、紆余曲折を経ながらも千早のプレゼント選びが始まった。
街にはブティック店が多く、ここでならプレゼントも早く見つかるかもしれないと考えていたシンだったが、どこを
見ても千早は特にこれといった顔を見せず、かれこれ一時間は探し回っているのだが結果はどこもハズレだった。
「突然何か買ってくれると言われても……物とかってそんなに欲しいというわけでもないし」
「遠慮はいらないからな。もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
「それは意味が違うような……」
そんな会話をしていると、貴金属店の前で千早の足が止まった。
「指輪か、それがいいのか?」
「あ……べ、別にそういうわけじゃないけど」
わずかながら頬を染めて俯く千早を見てシンは少しだけ考え込む。
――値段は……さっき引き落とした分と手持ちを足してギリギリ足りるくらいか。
「じゃあこれにするか。入ろう」
「えっ? ちょ、ちょっと待って!」
女性に指輪を贈るということに思うことがないのか、さっさと店の中に入ろうとするシンと慌ててその呼び止める
千早、傍から見れば奇妙な二人組である。
「? 欲しくないのか?」
「欲しくない、と言えば嘘になるけど…」
まだ渋った表情を見せる千早に向き直り、シンは先ほどから引っかかっていたことを問いかける。
「……なぁ千早、本当に誕生日はただの記念日だって思ってるか?」
「え?」
呆気に取られる千早に、シンは諭すような声で語りかける。
「俺はあまりこういう経験なかったし、そう興味があったわけでもないけど……誕生日ってさ、みんなで祝ったり
するものなんじゃないか?」
「みんなで?」
「そう、今日までに出会えて親しくなった人たちとさ」
シンはこれまでの十数年でそう多くはないが出会いと別れを繰り返してきた。
家族や仲間、もう二度と会えなくなったかけがえのない人々。この平穏な世界で過ごすようになり、自身の中で
その存在がどれほど大切なものであったのかをシンは思い知ってた。
――だからこそ、今度こそ蔑ろにしないために、
「俺は、千早の誕生日を祝福したいんだ。こっちで親しくなった仲間として」
「…………」
千早は、唖然としていた。変な奴だと思われただろうか? そんな不安に襲われてシンは誤魔化すように視線
を外す。
「ってことだから、遠慮なんかしなくていいぞ? むしろされると俺が困る」
またも始まった沈黙は、しかしすぐに破られた。
「――ふふっ」
「……笑うなよ、恥ずかしくなってくる」
そう言いながらシンは千早の方を見直して、息を呑んだ。
千早は、少しだけ潤んだ瞳のまま微笑んでいた。
「そういうことなら、喜んで」
……かくして、シンに課せられた任務は無事完遂された。
事務所に戻る途中、「これ、みんなに見せても?」と聞いてきた千早に、シンは素っ気無く「やめてくれ」と答えた。
「今さらだけどさ、なんか恥ずかしくなってきた」
このシン、基本的に鈍感である。
「わ、私も少し……一人でいるときだけ着けることにするわ」
二人の間で妙にぎこちない空気が続く。そろそろ事務所が見えてくる頃に、千早がポツリと言葉を漏らした。
「今まで両親のこともあったから、誕生日ってどういうものなのかっていうことを忘れていたんだと思う」
シンは思い出す。8年前、千早の弟が事故で亡くなって家族がバラバラになったという話。
――もしかして千早は、そのときから誕生日に祝福されることはなかったのか?
「でも思い出したの。弟が生きていた頃は本当にみんな楽しそうに、歌も歌ったり……」
千早の顔は嬉しそうで、すぐに崩れそうな儚い微笑だった
「……今年からは、違うだろ」
「そうね、もう父も母も別れたから、私は本当に一人……」
「そうじゃない」
シンは千早の孤独を否定する。その目にはっきりと、千早を必要としている人たちが待つ場所を見据えながら。
「シン……?」
「なぁ千早。馬鹿げたことを言うかもしれないけど、最後まで聞いてくれ」
深く息を吸い、ありったけの決意を込めて告げる。
「これからどんなことがあっても、俺が守るから。みんな守ってみせるから」
――今度こそ、絶対に。
そう胸の中で付け足して自身にも誓う。今までの後悔を繰り返さないためにも、今までの悲しみを繰り返させな
いためにも、と。
「そ、それってどういう……?」
「さぁ、着いたな。千早、悪いけどドア開けてくれないか?」
突然の告白と要求に困惑しながらも、千早は事務所の扉に手をかける。
――千早、どんな顔するかな?
なんにせよ、千早もすぐに分かるだろうとシンは思った。
けっして一人ではないということ、かけがえのない人たちがいるということに。
……ゆっくりとドアが開く。そして、
――千早、誕生日おめでとう!
祝福の言葉と共に、クラッカーが弾ける音が事務所に響き渡った。
最終更新:2008年09月22日 02:08