Happy Birthday~音無小鳥編~

<音無小鳥のバースデイ~空になりたい~>


 ……それは、事務所の大掃除をしている最中に偶然発見された。

「はぁ……誕生日に事務所の掃除なんて、幸先悪いわねぇ」
「まぁいいじゃないですか、夜にはみんな戻ってきますし。小鳥さん、これはこっちに置いていい
ですか?」
「ちょっと待ってね。え~っと……あら、こんなところにあったのね。とりあえずそっちに置いて
おいて」
「わかりました……ってうわっ!?」

 シンは抱えたダンボール箱を置こうとしたが、乱雑に床に広げられたケーブルに足を取られ、
ダンボールを手放してしまった。
 転倒は免れたものの、宙に放られたダンボールは中身を床にバラまいてしまった。

「っと、すいません!」
「いいのよ、見たところ壊れものは入っていないし」

 慌てて散らばったものを拾うシンを見てクスリと笑みを漏らして小鳥も手近に落ちた紙
を拾い上げる。

「懐かしいわね、前の事務所にいたときの精算レポート……うう、あのときは本当に苦労
したなぁ」
「にしても本当に古い資料とかばっかですね……ん?」

 変色したレポート用紙を拾っていたシンの手が止まる。
 紙の間に挟まっていたのか、やや色落ちした写真が落ちていた。
 ――ステージの上で歌う少女の姿。ライブハウスのような質素な場所ではあったが、ホクロの
ある口元には溢れんばかりの笑みが浮かんでいた。
 今よりもやや髪が長く、若干若い印象だが、シンはそれが誰なのかを察して目を見開いた。

「小鳥さん、この写真って……」

 なぁに? とにこやかに振り返った小鳥の表情が一瞬にして凍りつく。
 そして、

「き、きゃああああああああああああああああああああ!?」

甲高い悲鳴と同時にシンの手から写真が奪い取られた。

「み、見たの!? これ見ちゃったのシン君!?」
「え? いや、その、見ましたけど……?」

 抱きしめるように写真を守りながら、小鳥は顔を真っ赤にしてシンを睨み付ける。
 初めて見るその意外な姿に面食らいながらシンは誤魔化しようもない事実を認めた。
 しばらくじっとシンを見つめていた小鳥だったが、やがて観念したように溜め息をついた。

「はぁ、バレたんじゃ仕方ないか。まさかこんなところにあったなんてね」
「それ、やっぱり小鳥さん……ですよね?」

 いつの頃かまでは分からなかったものの、シンは確かに写真の中のアイドルに音無小鳥の面影
を見つけていた。
 背景からおそらくはデビューしたての頃なのだろう、どことなく緊張しているようにも見える。

「ずいぶんと昔の写真なんだけどね。それにしても懐かしいなぁ」

 すっと天井にかざすように小鳥は写真を眺める。
 ――その目尻に、わずかだが涙が浮かんでいた。

「小鳥、さん……?」
「あ……」

 言われてようやく気付いたのか、小鳥は慌てて目元を拭った。

「何か……あったんですか? この頃に」

 普段とはあまりにもかけ離れた姿に不安を覚え、気付けばシンはそんなことを聞いてしまった。
 そして次の瞬間に後悔する。涙を流すほどの過去など、誰だって聞かれたくはないのだ。
 だが、返ってきた答えはシンの予想とは違っていた。

「ごめんなさい、ちょっと懐かしくて」

 そう言って、小鳥は気恥ずかしそうに笑っていた。

「この頃の私も春香ちゃんたちみたいにアイドルに憧れててね。それでそのまま勢いで当時はまだ
無名だった事務所に駆け込んだのよ。この写真は、私にとってはじめてのステージだった」

たった一枚の写真からでも分かる。
 雑なステップ。ぎこちないアピール。シンも何度か目にしたことのある、アイドルとしての
初仕事らしい粗さが垣間見える姿だった。
 しかし、そんな未熟さに満ちた一枚だというのにシンにはその表情が輝いて見えた。

「散々な結果だったけど、それでも私は嬉しかったわ。これで本当に、夢にまで見たアイドルに
なれたんだなって」

 ……しかし、理想は常に叶うものとは限らない。
 一度の失敗で躓いてしまうアイドルもいる。二度の失敗で立ち上がれなくアイドルもいる。
 そんな失敗を乗り越えたとしても、はじめてステージに立った時の自分を見失ってしまった
のならば……

「……焦ってたんだなって、今なら分かるわ。今でいうところのCランクに上がってから、私は
いつの間にか進めなくなってた」

 CランクとBランク、その間には大きな壁がある。
 一定数以上のファンの獲得、そして三つある特別オーディションという狭き門を潜り抜いて
ようやく世間から認められるのだ。
 完全に実力でしかのし上がることのできない世界。それがBランク以上のアイドル、ひいては
トップアイドルの足掛かりの段階なのだ。
 今でこそこういった比較的分かりやすい――しかしけっして言うほど楽なものではない――
形にはなっているのだが、それ以前はより複雑なものであった。

「後から来る子たちはどんどん先に進んでいって、それがどんどん重荷に感じてきて……諦めが
ついたって言えば少しは聞こえがいいかもしれないけど、結局私は自分で選んだ場所から逃げ
出したかったの」

 それはつまり、それまで自分が作り上げてきたものをすべて捨ててしまうという意味。
 Cランクとはいえ、そのファンの数は多少の誤差を踏まえた上でも30万人以上にまでのぼる。
 引退とは、そのファンのすべてに対して別れを告げることでもあるのだ。

「そんなときだったわ、当時私についてくれたプロデューサーさんが新しい曲を持ってきたの」

 そう言って、小鳥は短いフレーズを口ずさむ。
 それはシンにとっても聴き覚えのある歌。以前に春香たちと聴いてなんで事務員をやっている
のだろうかと疑問に思った、あの歌だった。

「まだ仮歌も入ってないのに、恥ずかしいくらい泣いちゃったわ。それが私が本当に歌いたかっ
た、最初で最後の歌になったの」

 ――空になりたい 自由な空へ
 ――翼なくて飛べるから 素敵ね
 ――空になりたい 好きな空へ
 ――雲で 夢描けるから

 歌詞の通り「空」と名付けられたその歌は、シンにまったく別の印象を与えていた。
 この歌は、『アイドルとしての音無小鳥』をずっと見てきた人間が贈った歌だったのだと。

 ――はじまりはどこにあるの? お終いはどこにあるの?
 ――上を見て あなたに聞いてみたら
 ――はじまりとお終いなんて 繋がって巡るもの
 ――大事なのはやめないことと 諦めないこと

「……実際に歌ってみて歌詞のひとつひとつが胸の中に広がっていって、私の中で自分が進みた
い未来(みち)が驚くくらいにすんなり決まっていったの」

 ……そして、引退。
 わずか一年という短い期間を輝いたアイドルはファンの喝采を受けてその道を退き、やがて
人々の記憶から消えていった。

「……悔しく、なかったんですか? その、そんな終わり方になって」
「後悔はなかったわ。涙が枯れるくらいにないちゃったけど、最後の最後で自分のやりたいことが
できたしね。それに、あの一年があるから今の私があるの」

 羽ばたいていくアイドルたちを見守ること。
 それはきっと、自分やプロデューサーとはまったく違う視点であるのだろうとシンは直感して
いた。

「だから夢を諦めたっていうよりも、夢が少しだけ変わったっていうのかな。みんなが輝いて
いることが自分のことみたいに嬉しいの」

 儚さや悔いなど一切見当たらない、柔らかな笑顔。
 シンとってそれは眩しすぎるものだった。
 かつて戦場に身を置いていた頃に選んだ未来を考えれば考えるほど、そのときの決意が崩れて
しまいそうだった。

「でもね、そのときやってきた事の意味なんてずっと後になってからじゃないと分からないもの
なの。だから、あのときの私の一年がどうなるかっていうのもまだ答えは出ていないわ」
「……やってきたことの意味、ですか?」
「そう。だから、今確かに言えることはみんながトップアイドルになるのを見届けることが今の
私の夢っていうことだけなんだけどね」

 悪戯っぽく舌を出す小鳥を見て、シンは少しだけ救われた気分だった。

 ――そうだ、まだ俺はあの世界がどうなるかを見届けちゃいないんだ。

 アスランの言うことは正しいのかもしれない。だが、自分のやろうとしたことが間違っていた
かなどまだ分からない。
 それを確かめるためにも、どうしても元の世界に戻らなければならないということをシンは
改めて決意した。

 ――けど、今はまだもう少し、この人と同じ夢を見てもいいよな……?



「シン君? どうしたのボーっとして」
「……いえ、ちょっと考え事してて」
「ひ、ひょっとして私の話がつまらなかったとか……?」
「どっちかっていうと小鳥さんが今日で何歳になるのか気にな……じょ、冗談ですよ?
いわゆるお約束っていうやつですから痛ッ!? ちょ、やめてください! 笑顔でスピニング・
トゥー・ホールドはやめっ――――!?」

 メキリ、とシンの右足が破滅の音を立てた。

 ――そういえば小鳥さんのプロデューサーってどんな人だったんだろ?

 激痛の最中、疑問が浮かんだが、直後にシンの意識は大地平の彼方に飛んでいった。

「あ~、ったく。あの悪ガキども執拗に足を狙いやがって……」

 悪態をつきながらシンはベランダに出る。事務所の中では小鳥の誕生日パーティーという名の
いつもの騒ぎが未だ続いていた。
 いつもなら双子の子供電池とKING化したあずさの酒が切れるまで付き合わされる羽目になる
のだが、今回は昼間かけられた関節技が地味に響いているのでしばらく席を外させてもらったのだ。

 ――まぁ、いつも通りで何よりだけどな。

 夜空を仰ぎながら物思いに耽る。春香たちは当然今日シンが知ったばかりの小鳥の事情は
知らされることはなかった。もちろんシンも話すつもりはない。
 誰かの想いを背負い込むのではなく、あくまで本人たちの想うままに輝いてほしい。
 きっとそれこそが小鳥の望んでいることだろうと察したからであった。

「……ん?」

 人の気配にシンが視線を下ろすと、小鳥と高木社長の姿があった。
 何の話をしているのか、と聞き耳を立てたところで届いてきた社長の声にシンは息を呑んだ。

「――小鳥君。歌いたくなったら、いつでも声をかけてくれたまえ。いつまでも待ってるからな」

 それは、事務員ではなくアイドルとしての音無小鳥を求める言葉だった。

 ――ひょっとして、小鳥さんのプロデューサーって……?

 思い当たるものがあったシンだったが、小鳥の返答に意識を引き戻された。

「すいません社長、それはないです。でも頑張ります。いつか、自分を好きになれるように……」
「――そうか」

 少しだけ残念そうに社長は小さく笑い、二人は中へと戻っていった。

「…………」

 シンは空に浮かぶ月を眺め、すぐに踵を返して事務所に足を向けた。
 春香たち、社長、そして小鳥。いつも通りのみんなといつも通りに接するために。
 ――この夢の続きを、少しでも長く見ていたいと願いながら。




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最終更新:2008年11月07日 00:07
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