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魔王の思いはかく在りき

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eroticman

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魔王の思いはかく在りき

※作者:ID:GIkEI2R6
※タイトル命名:◆wHsYL8cZCc

 居間での朝食の最中、妹の彼方が藪から棒に尋ねてきた。濃紺の着物を纏っているので、今
日も学校に行くつもりはないのだろう。
「お姉さま。『ハルトシュラー』という名前をお聞きになったことはありますか?」
 彼女の焼いた鮭の切り身を口に運びながら、ポニーテール頭の無限桃花は回答する。この時
間、両親はまだ寝ている。
「いや、ないが」
「最近私たちくらいの世代の間で流布している、怪談の一種です」
 月に数えるほどしか登校しない割に、彼女はよくその手の話題を良く仕入れてくる。のべつ
まくなしに男子にコンタクトを求められているようだから、自然と詳しくなるのかもしれない。
桃花が箸を動かしている間に、彼女はその怪談について語り始める。
「生前は芸術家だったそうです。当初は性別すら不明だったそうですが、最近は女性と断定す
る方が増えています。小説・絵画・音楽・料理など、様々な分野で膨大な作品を遺したとされ
ている、二十年近く前の人物です。しかし作品数から見て不自然なほど、彼女は――便宜上女
性とさせていただきますね――自らの痕跡を遺さなかった」
 それで終わりなら、ただの謎多き芸達者だ。しじみの入った味噌汁を啜りながら、彼女の話
の続きを待つ。
「二歳で亡くなったされる彼女ですが――」
 そこで桃花は霧吹きの如く汁物を噴き出した。彼方が口元に手を当てる。
「まあ、お姉さまったら」
 台所から布巾を持ってきた妹に制服を拭いてもらいながら、桃花は呻く。
「今のが話の落ちか?」
「とんでもありません」
 一直線に切り揃えられた前髪を揺らしながら、彼方は心外そうに首を振る。
「いくら創作とはいえ、最低限のリアリティは必要だと思うが……」
「話は最後まで聞いて下さい。無数にある彼女の顔の中には、いかがわしいものもいくつかあ
りました。魔術士や、邪教信仰の異端者などがそうです。謎に包まれたハルトシュラーは、一
部の人々からは尋常ならざる力を操る魔王と呼ばれていました」
「だからわずか二年間の人生で、山のような創作物を世間に向けて発信できたと?」
 話の荒唐無稽さに若干の苛立ちを覚え始めた桃花は、先回りして尋ねた。
「ええ。そればかりか、魔術によって転生を果たした彼女は、姿を変えて今の世を生き続けて
いるという、まことしやかな噂もあります」
 それこそ一流人形師の創作物のように整った顔を桃花に近付けてきた。
「そしてここがこの怪談の肝なんですが――」

 声を低めた彼女は、こう続けた。
「最近この町の近辺で、彼女が『ある物』を使っている人間を無差別に襲っているらしいんです」

 馬鹿馬鹿しい。
 と思いながらも、床の間に安置してある妖刀村正を竹刀袋に入れて高校に持って行ってしま
ったのは、妹がどうしても、と言って譲らなかったからだ。身体の弱い妹が心配性なのは昔か
らだったが――
 例によって休み時間に、男子から妹宛ての紙切れを幾つか押し付けられながらも、その日の
授業を終えた。無意味なラブレターもどきの分だけ重量の増した鞄を持って、桃花は昇降口に
向かう。廊下でハルトシュラーの噂をしている女子グループとすれ違う。
「マジで怖いよねー」
「でもやられる方にも問題が――」
 上履きから靴に履き替えながら、桃花は呟いた。
「ハルトシュラー……ねえ」
 実際、何人も襲われた人間がいるという。これからも被害が増えるだろう、とも言われてい
る。しかし自分が狙われる可能性など、まるで考えられなかった。
 正門を出る。自分と同じように、駅に向かう学生が大通りの歩道に大勢いた。十人近い男子
が、スポーツ用品店の駐車場脇に設置された自動販売機の前にいた。恐らく野球部だろう。全
員短髪で、スポーツバッグからバットが飛び出している者もいる。
「だからそんなもんいねーって!」
「やめとけよ、一緒にいる俺らまでとばっちり受けるだろ!」
 楽しそうに揉み合っている。ここでもハルトシュラーか。むしろ今まで耳に入ってこなかっ
たのが不思議なくらいの流行ぶりだ。
「やってやるよ」
 制服のズボンについていたチェーンを引っ張り、男子の一人が財布を取り出した。
「やめろって!」
 制止を振り切り、男子が財布を開く。
 バリバリ。
 マジックテープを剥がすあの音が周囲に響く。たまたまその時、車通りも絶えていた。
 いつの間にか、周囲の学生たちも注意深くその様子を見守っていた。誰もが知りたがってい
たのだろう。怪談の真偽を。
「――たわけが」
 どこからともなく聞こえてきたのは女の声だ。それもかなり幼い。
「……ん?」
 初め桃花は、幻聴かと思った。雲一つない空から、鈍い風切り音がしたのだ。
 形容しがたい不安を覚え、空を仰ぎ見る。


 一本の巨大な書道用筆が、自販機の前の男子に振ってくるところだった。
 加速をつけて落下してきた筆は、男子の手の中にあったマジックテープ式の財布を串刺しに
して、アスファルトの上に深々と突き刺さった。
 手の中の財布を失った男子が声を漏らす。奇跡的に、彼自身は無傷のようだった。
「うっ――」
 そこかしこから悲鳴が上がり、学生たちが四方八方に逃げ惑う。逆鱗に触れた野球部員たち
などは、荷物さえ置き去りにしてその場から駆け出していた。
 人気のなくなったのを見計らい、村正の入った竹刀袋を握り締めた桃花は、ゆっくりと巨大
な筆に近づいて行った。突如出現した凶器に貫かれた財布はほとんど原形を留めておらず、小
銭を何枚か飛び散らせていた。アスファルトの方にも、深いひび割れが走っている。
「まさか……」
 実在するというのか? 
 マジックテープ式の財布を使う人間を無差別に襲う魔王、ハルトシュラーが?
 早く逃げるべきだと、本能が告げた。相手は人ではない。そして強大な力を有しているは確
実だった。
 ――だとしても。
 逃げるわけにはいかなかった。『寄生』と呼ばれる人に害を与える存在を狩り続けている桃花
にとって、人間に悪影響を超常的な存在は全て敵なのだ。見て見ぬふりをすることは、これま
での人生で培ってきた矜持が許さない。
 唾を喉に流し込むと、桃花は鞄を置き、竹刀袋から村正を出した。
 そして愛用のマジックテープ式の財布を開く。妹が今朝、早く買い替えるべきだと主張して
いたのを思い出す。
 独特の音が発生するのと同時に、胸ポケットに素早く財布をしまった。財布だけ破壊されて
相手に逃げられては、彼女を呼ぶ意味がない
腰を落とし、油断なく周囲の気配を探っていると、先ほどの少女の声がまた聞こえた。
「――ほお。我に挑むか……面白い」
 そして次の瞬間には、視界が暗転していた。

 不意に襲ってきた浮遊感にうろたえながらも、桃花は足に力を込めた。硬い地面の感触を踏
みしめ、彼女はがらりと変わった風景を見回す。
「ここは……」
 ダンスホール、とでも言えばいいのだろうか。高い天井からは巨大なシャンデリアが吊るさ
れていた。オレンジ色の照明に照らし出された光沢のある白っぽい床は、曇り一つなく磨き抜
かれている。壁際には小さな円形テーブルと一人掛けの高価そうなソファが並び、入口の扉の
すぐ横には、バーカウンターまで設けてあった。
 広々としたその部屋の中央に、桃花は立っていた。

「ようこそ客人。我が屋敷に」
 音もなく開かれた両開きの木製ドアの向こうから現れたのは、愛らしい顔立ちをした、小学
生くらいの見た目の少女だった。背中に流れる長い銀髪が、照明を受けて時折煌めいている。
青を基調とした、フリルつきのロングワンピースを着ていた。
「あなたが……ハルトシュラー、なの?」
「ああ。自ら名乗ったつもりはないのだがな。いつからともなくそう呼ばれている」
 だとすれば、ここは『迷い家』ということになる。今朝の妹の情報を信じれば、の話だが。
 頭だけを動かして、ハルトシュラーは室内の様子を観察している。そして桜色の小さな唇を
動かしながら、彼女は言葉を紡ぐ。
「この部屋は創ってみたものの、一度も使用したことがなくてな」
 そこで少女が口元を歪める。
「こうして誰かを招くのは初めてなのだ。存分に舞ってくれ。――ダンスのパートナーは、こ
ちらで用意してやる」
 彼女が指を鳴らすのと同時に床のあちこちが盛り上がり、白いマネキン人形のような物体が
生成された。全部で三体。それらは桃花の姿を認めるなり、突進を繰り出してくる。
 無言で左手の村正を抜いた桃花は、同時に射程に入ってきた二体を一瞬で斬り伏せた。遅れ
てきた残り一体の胴を抜いて、再びハルトシュラーと向き合う。
「さすがに腕に覚えがあるようだな。即席の木偶人形では相手にならぬか」
「お前は何故こんなことをしている」
「教えてやる義理は――」
 ドアの向こうに続く廊下から、ポットやケーキの乗ったトレイを持った髪の短い少女がひょ
こひょこと近づいてきていた。
「あ、いたいた! ばっちゃん、お茶とお菓子持ってきたよー」
 背後からやってきたそのジャージ姿の少女に気付いた魔王が、がっくりと肩を落とす。
「美作……誰がそのような物を持ってこいと言った」
「だってさっきお客様が来るって言ってたじゃない。こういうおもてなしは最低限のマナーで
しょ」
「判ったから下がれ、邪魔をするな……」
「ちぇー。せっかく気を利かせたのにい。だから友達少ないんだよばっちゃんは」
 頬を膨らませながら、少女が引き返していく。
「邪魔が入ったな」
 気を取り直したように魔王が腕を組んだが。
「我が直々に相手を――」
「お師匠様!」
 またしてもハルトシュラーの言葉は中断された。
「いい加減にして下さいよ!」

 桃花とハルトシュラーの間に割って入ったのは男である。いかにも生真面目そうな雰囲気で、
ジーンズにトレーナーという、無難な格好をしていた。顔を見る限り、二十代には差し掛かっ
ていないと思われた。
「マジックテープ狩りなんて馬鹿なことをいつまでやってるんですか! 世間じゃ本当にちょ
っとした騒ぎになってるんですよ!」
「ええい黙れ倉刀! あのような不細工な留め具は、我の美的センスが許さんのだ!」
 倉刀と呼ばれた男は、魔王の後ろに回ると、その小さな身体を抱きかかえた。
「いいからもうやめましょう。こんな場所に連れて来られて、あの人も困ってるじゃないです
か」
「どこを触っているのだ貴様は! 弟子の分際で師匠に逆らう気か!?」
「師匠の不始末だから弟子が処理してるんですよ……」
「ろくに技術も盗めぬ凡夫の分際で、この我の弟子を名乗るなど片腹痛いわ! 大体な、貴様
があのような不格好な財布を使っていなければ、我がマジックテープなどという醜い存在を知
ることも――」
 魔王を無視して、男が桃花を見た。
「大変なご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ありません。すぐに元の世界にお返ししま
す。ご希望されるなら、記憶の消去もできますが――」
「え? あ、ああ」
 自分に対して向けられている言葉だということに、桃花はしばらく気付けなかった。
「じゃあせっかくだから、頼もうかな」
「判りました。それでは――」
「言語分野に疎い貴様に、そんな芸当が出来るのか?」
 拘束されていたハルトシュラーが、胡散臭そうに倉刀を見る。
「できますよ。『全て忘れて、お引き取り下さい』」
 彼の放った言葉の後半が、不自然なまでに脳内で残響した。
 そして視界が闇に閉ざされる。

「お帰りなさいませ、お姉さま」
 玄関の戸を開けるなり、奥から彼方が出てきた。
「今日の帰り、珍しい物を見た」
 数枚のメールアドレス入りの紙切れを鞄から取り出して彼女に渡しながら、桃花は言った。
「老朽化した電線が落ちてきて、男子生徒の財布を叩き落としたんだ。凄い威力があるんだな、
あれ。電線のぶつかった地面に、大きなひび割れが出来てた」
「怖い話ですね。……ところで、男子生徒の財布というのは、マジックテープ式でしたか?」
「そうらしいけど、ハルトシュラーじゃないよ。単なる事故だ」
「ならいいんですけど……お姉さまも、気をつけて下さいね。ハルトシュラーには」
「大丈夫だよ。常識的な弟子がいるみたいだから」
「え?」
 妹が首をかしげたが、桃花自身もどうしてそんなことを口走ったのか判らなかった。


おわり


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