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『隠し集会場の三人』

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ParaBellum

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 『隠し集会場の三人』


 地球から持ち込まれた蝉が鳴いている。耳がぼんやりする。
 地面を撫でる熱波が顔に吹き付けてくる。皮膚がちりちりする。
 地表に照り返す熱光が全身を満遍なく加熱してくる。汗で体がべとべとする。
 そう、季節は夏真っ盛り。青き海と蒼き空に挟まれたその島も例外なく熱に晒され、コンクリートの上には逃げ水が蔓延し、屋根で目玉焼きが焼けそうなほどに熱い。
 例年と比較してもなお暑い理由の一つが太陽の活動が一時的に活発になったのと、海流温度の変化があるとされるが、いずれにしても自然に対し文句をいっても褒め言葉をかけても意味が無いことは当り前であろう。
 ゴム輪を指五本で広げて片手で髪の毛を後ろで纏め上げて結わく。明るい茶色の毛を整えて、頭をぐっと押して微調整、そして遠視対策の眼鏡を服で拭いてかけ直す。
 靴を足を押しこみ、玄関の段差に踵を叩き付け位置を直す。たたっと両足を揃え膝に手を置き起立すると、玄関横の棚に引っ掛けてあった麦わら帽子を一度手に取ったが結った部分が引っかかると思ったので元に戻し、ドアノブに手をかけた。
 物音を察知したうら若い母親が部屋から顔を覗かせて、玄関の女の子に歩み寄ってきた。こちらも後ろ結いで腰まで伸ばしており、やや吊った目と、瑞々しく血色の良い肌、そしてすっきりと細い肢体を持つ彼女は、言うまでも無く女の子の母親である。
 ちなみに、彼女の家系は、少女から見ておばあちゃんの時からポニーテールで、三代渡って受け継がれた伝統のようなものだったりする。
 少女が早速外出しようとするのを母親が引きとめ、服を直したり髪を直したり眼ヤニをとったりしてあげる。

 「遊びに行くの?」
 「うん!」
 「あんまり遅くならない内に帰ってね」
 「うん!」
 「行ってらっしゃい!」

 少女は母親に軽く両肩を叩かれ、弾けるよう地面を蹴って外に駆けだした。
 水色のワンピースが熱波で翻り、やや無理に纏めたポニーテールが揺れた。玄関前の階段をステップ、ジャンプ、両足で着地して、改めて駆けだす。

 「アル、行ってらっしゃい」
 「うんっ、お父さん!」

 庭で蛇口にホースを繋いで地面の埃を洗い流していた真っ最中のまだ若き金髪眼鏡の父親が面をあげ、手を振った。少女も負けじと手を振りかえし、門から出ても勢いを落とさずにたったかたったか駆けていく。
 道を歩く人達は、灼熱の太陽に汗を流し、麦わら帽子をかぶっている人もいた。
 息を切らしながら走っていき、家からさほど離れていない地点にある小さな公園へと辿り着いた。気温が高すぎるせいだろうか、いつもなら居るはずの子供たちとその保護者の姿は無く、閑散としていた。
 少女は、うーんと喉を鳴らしたが、なにはともあれ入っていくと、滑り台やそのほか遊具がくっ付いたそれの一番上に乗って周囲を見渡した。たかだか数m視点が高くなっただけでも、少女には随分な背伸びだ。
 片手を腰に、片手を口にやってメガホンを作って、蝉の鳴き声に負けないように声を張り上げた。

 「誰か居ないのー!」
 「いる」
 「うわぁあ!?」

 誰も居ないだろうと思って声を出してみれば、足元の木の足場の陰から頭がにゅっと突き出たのだった。全く気配を感じさせなかっただけに、驚き、わたわた両手を振り回す。
 その人物は一旦頭を引っ込めると、黒い猫を胸に抱えて足場にひょいと上がり座った。
 小学校中学校程度に見えるその人物。漆黒の髪を左右で三つ編みにして垂らし、夏服なのに上下が黒という、暑いのか涼しいのか分からない少女。名前をクーといい、少女の友人であり姉のような子だ。
 元々孤児で、街をふらふら彷徨っているところを保護した人物がいて、養子になって現在に至る。
 クーが仰け反った幼きアルメリアをじっと見遣り、腕の中のクロを離すと、木製遊具にぱっと取りつき、あっという間に登った。
 いくらクーが小柄で痩せているといっても、年齢から考えてアルメリアの方が小さいのは当然。二人が並んで座れば、目線はクーの方が高い位置にある。
 風が吹いてきて髪が乱れた。

 「ねぇークー姉、連れてって!」
 「……猫の集会場?」
 「ん、そこ行って猫さんと遊びたい」
 「………別にいいけど、他の人を連れてきちゃうと逃げちゃう」
 「いくの!」
 「分かった」

 その時、帽子を前後反対に被った少年が息を切らして公園の入り口に駆け込むと、地面を滑りながら停止して、腕を組んだ。

 「ちょおおおおっと待った!!」
 「あ、お兄ちゃん」

 アルメリアと同じ色の髪と瞳。身長はさほど違わないが、目つきがやや悪くおぼろげにであるが勝気な顔つきをしている。彼の名前はジャック、彼女の兄。
 タンクトップの彼は、滑り台に向かって走り出すと勢い付けて駆けあがり、二人の元へやってきた。暑いのに元気なことである。
 警戒を露わにするクロを尻目に、クーもアルメリアも動じずにジャックの言葉を待った。

 「俺も行く! 妹に後れをとってる場合じゃねぇぜ!」
 「えー? お兄ちゃんがいくと猫が逃げるからヤダ」

 常に粗暴と言うか、乱暴と言うか、そそっかしい兄に妹が眉をひそめて拒否をするが、兄は意に介さずだった。
 母親に似たと父親が言っているのを平素から聞かされてきたアルメリアだが、どうにも、この兄が母親に似ているとは思えなかった。どちらかというと、父親の兄貴のちゃらんぽらんさを吸収したに違いないと確信している。
 ジャックがふらりと失踪することは度々で、父親の兄貴ニコラスと目撃されることもしょっちゅう。
 エアバイクで深夜の空を飛んだとか豪語していることもあったが、明らかに嘘でない様子だから困りものだ。
 ジャックは胸を張って堂々としている。

 「そっとするから大丈夫だろ」
 「そんなこといって、いつも逃げられるクセに」
 「妹のクセに生意気な奴だなぁ……」
 「ふーんだ」
 「いこうぜークー姉さん!」

 先導するはずのクーを置いて、ジャックが駆けだしたが、どこに猫の集会場があるかはっきり記憶してなくて、はたと立ち止まると振り返る。気持ち先立ちども道分からず。じっとクーを見る。
 アルメリアは仕返しとばかりに指を指した。

 「道分かんないくせに生意気な兄だー」
 「……あ?」

 ジャック、眉をピクリ。心なし表情も硬化。
 すかさずクーがたしなめる。彼女の右足と左足の隙間をクロが優雅に通り抜ける。猫ならではの早業だった。

 「ケンカしちゃだめ」
 「はーい」
 「……はーい」

 クーが二人を蒼き瞳で交互に見遣ると、分かる分からない程度に人差し指を上げた。
 二人は不満そうだったが、クーの前で口喧嘩もみっともないと、大人しくなった。
 クーのたしなめや説得には感情の類に欠けるが、その分違う意味の力を持っているというのは、実際に会って話をしてみれば分かることだろう。人間としての才能は予期せぬ場面で発揮されるのだ。
 じーわじーわじーわじーわじじじじ。
 みーんみんみんみー。
 ジリジリジリリリリジジジジジリリジジジジジジジ。
 蝉の大合唱下、三人は公園を後にすると街並みに紛れて存在する小道へと足を踏み入れていた。
 それは建物と建物の間にひっそり身を潜めていた。古びたビルとシンナーの臭いが嗅げそうな新しいビルの壁の隙間に主張も無く、ただあった。
 それは例えば、空き瓶、昨日の新聞、短すぎる鉛筆、片足だけのコンパス。
 人間の視点、思考、思惑からすれば何にも役に立たないつまらない代物でしかない。だが、犬猫などの生き物からすれば、高級ホテルとはいわなくともビジネスホテルくらいの役目を果たす。
 クーがビルの隙間にある鉄格子扉を何気なく開けた。
 ジャックは犬のように鼻をひくつかせながら、クーの横から身を乗り出してビルの谷間の奥を凝視する。
 アルメリアは、まるで迷路みたいだと率直な感想を脳裏に浮かべた。

 「ねぇ、クー姉」
 「なに?」
 「どうして猫の言葉が分かるの?」
 「……」

 ふと、アルメリアはクーの服を掴み尋ねてみた。本人はそうと口にすることはないが、明らかに猫と会話している場面に遭遇したことがあり、どうしても聞いてみたかった。
 するとクーは黙したまま、クロに目配せで先に行かせると二人を連れだって通路を歩み始めた。
 通路にはごみが落ちていた。中にはビルの中から捨てられたのだろう、印刷に失敗した書類や、紙コップ、何かがこびりついたプラスチックの容器もあった。
 クーがゴミ袋を足で横にやり、二人を通す。
 ジャックは話をばっちり聞いていたが、猫と喋れるうんぬんは初耳で知らなかったのか両手を握り目を輝かせた。

 「えっ、クー姉って猫としゃべれんの? すげぇ!」
 「………」

 ゴミ箱を右へ、それから元の道に戻ると、ビルの谷間にあるブロック塀の上にひょいと飛び乗り更に歩いていく。
 無造作にビルの谷間から顔を覗かせる空を分断するは、壁面の渡り通路。
 彼女らが住んでいる街は元々開拓初期に入植が始まった島にあって、無計画に都市が膨れ上がった事もあってか新都市区以外の老朽化と、迷路のような入り組み方が特徴となっている。
 そして、クロがにゃーんと喉を鳴らすや、周囲の雰囲気が一変した。
 具体的に何が変貌したというでもない、あえて言うならば音が消えたということか。
 音無き世界で、三人はただ前を目指した。

 「……私達人間はヒトと意思の疎通をすることができる。私はネコと意思の疎通をすることができる。これは大した違いなんかじゃない」

 突然にクーが口を開いたのは、三人がブロック塀を過ぎて、民家の裏庭ギリギリにあった倉庫裏に来たところだった。
 なるほど、分からん。
 ジャックが首を捻り、質問する。

 「全然違くね?」
 「言語や種族は問題じゃない。心の問題」
 「……わかんねぇ」
 「………わかるようになれば、わかる」
 「なんだよそれ、俺全然意味不明」

 分かったような、分からないような、つまるところ何を言っているのかが分からない説明を受けて、ひたすら首を捻り怪訝な表情をするジャック。ところがクーもクーで釈然としない顔をしていることから、する側される側双方が分かっていないらしい。
 などと言っている間にも風景が暗くなっていく。競うように二人はクーの背中についていく。
 道中でアルメリアが、クーの方を見てクロに視線を落としてから、ほんわかとした笑みを浮かべた。

 「実はクー姉って猫の生まれ変わりだったりねー。えへへ。黒猫なんだよきっと」
 「雰囲気で決めんなよ。もしかすると犬だったかもしれないじゃねぇかよ」
 「それはお兄ちゃんでしょ」
 「じゃーアルはすぐ寂しがるから兎だよな! ちなみに俺は狼ね。兄貴が男は雄で狼なんだって言ってた」

 クーは、幼歳特有のオカルティズム談義で盛り上がるアルメリアとジャックとはよそに、生まれ変わりという言葉に思考の海に没してしまいそうになっていた。
 一人で生きていた時には考えもしなかったことが、アイリーンに養われてる今はそうでもなくなってきて、本を読んだり音楽を聞くと、年不相応な哲学的宗教的なことを考えてしまうのだ。
 生来から他人には理解されない独自の世界観を持つクーならばなおさらだった。
 三人がその猫の集会場へと着々と距離を詰めていったその時、突然不幸にも雨が降り始めた。
 機敏にクロが反応を見せると、とある廃屋の軒先へと退避した。続いて三人も軒先へと駆けだす。
 空は数十分前の笑顔を曇らせて激怒を前面に打ち出す攻撃性を打ち震わせ、たちまち豪雨と称しても不足ではない水を落とす。
 それこそバケツをひっくり返したような雨に、三人と一匹は身を縮めて廃屋の軒先で待つ。
 もうびしょ濡れでいいから行こうぜ! と、シャツを脱ぎズボン一丁で両手を広げ出撃したがるジャックをアルメリアとクーがなんとか押しとどめて、雨宿り。
 気持ちは分からないでもない。例えば靴。うっかり水溜りに着地したせいで中まで浸水してしまうと、もう濡れるとかどうでもよくなり次から次へと水溜りを踏みたくなるのと同じなのだろう。
 問題は、これが夏の雨で、まだ彼ら彼女らは濡れてすらないということ。
 ジャックに影響を与えた男ならパンツ一丁で駆け出して髪の毛でも洗っていることだろうが。

 「ねー、クー姉ー」

 アルメリアは、軒下の濡れない領域で膝を抱えて座ったまま欠伸を噛み殺しながら、隣のクーに声をかけた。心なし、湿気でポニーテールから元気の文字が抜けている。
 雨が軒先に衝突して水滴を結び、隙間から伝い地面でポトポト一定の感覚で音色を奏でたことが、彼女に眠気を与えていた。

 「?」
 「………わたし、眠い」
 「そう。寝ててもいい。やんだら起こす」
 「……うん」

 アルメリアの瞳は今まさしく眠気の海へと漕ぎ出さんとうつらうつら。睡眠の許可を得てしまえば我慢できず瞼が閉店して、頭が傾きクーに体重をかけて寝息をたてる。
 クーを間に挟んだ向こう側で座るジャックもどことなく眠そうで、ぼーっと視線を動かさない、いわゆる眠気と疲れから来る目のピント不良をありありと浮かんでいたものの、妹と同じく寝ては威厳が保てぬと口元をきっと結ぶ。
 だが、瞬く間に目じりが下がってトローンとぼやけてくる。
 ジャックは海老のように丸まりつつあった背中を伸ばすついで伸びをすると、鼻を鳴らして見せた。

 「んーだよなっさけねーな、すぐに寝ちゃうからお子ちゃまは困るんだよ」
 「眠い?」

 無論のことながら、クーのように洞察力の優れた人間でなくとも『こいつは眠いんだ』というのが明白だった。クーは首を傾け尋ねた。

 「……ね、眠くねーよ」
 「嘘をついてると思う。本当はとっても眠いのに」
 「……………オヤスミナサイ!」
 「おやすみ」

 ジャックは誤魔化しきれなくなったので取りあえず大声を張り上げると、あっさり眠りについた。
 大人になり切っていないクーを比較に出すのもあれであるが、ジャックもアルメリアもまだまだ睡眠が必要なお年頃なのである。
 クーの足の間で身を丸めていたクロの鼻がすんと鳴らん。
 雨が地面に落ちるや、甘いような、きな臭いような、水気を含みつつしかし湿り気を感じない匂いが、鼻筋を人差し指で撫ぜた。
 あれほど晴れていたのに豪雨に見舞われるなんて、まさに狙われた天候とでも言おうか。
 すーすー気持ちよさげな寝息を立ててクーの体を両方から挟んでくるジャックとアルメリア。
 重量が心地よいというのもなにか変な感覚だったが、これはクロを抱っこしている時の安心感に似ていた。
 十分経った。何も起こらない、雨も止まない。
 二十分経った。雨脚が遠のいてきた。
 三十分後、雨は霧雨となりて。
 静止でも体表面に汗が玉を結ぶような気温だったはずが、驟雨が一掃してしまって、むしろ寒い位の大気が訪れる。ただし湿気はますます増加の一途を辿り、クーの左右に垂れる三つ編みお下げが水分を吸い重くなっていた。
 クロの鳴き声をさきがけに、クーは視線をきょろきょろすると、左右で睡眠に浸る二人の肩を揺らし起こそうとした。

 「起きて、起きて」
 「………んにゅ」
 「ねみぃ……」

 肩を揺すられ、無邪気な寝顔を晒していた二人の意識が覚醒へと向かい瞼が開くも、眠たげな様子は変わらなかった。
 寝たことで体温が下がり、気温と相まって寒気を感じる。ジャックはとにかく、薄手のワンピースを着たアルメリアには少々堪えるか。

 「……雨が降っちゃったから、別のところを案内する」
 「はーい………ふぁあああ~~~あふ」
 「欠伸してんじゃねー」
 「ついて来て」
 「はーい、クー姉」
 「なぁ、そこって近い?」
 「近い」

 アルメリアは大欠伸を我慢せずしかし手で隠してする。ジャックは欠伸こそしないが明らかに眠たげだったが不機嫌になるようなこともない。
 そして二人は、クーとクロの先導の元、近場にある猫の集会場へ歩いて行った。
 辿りついたのは、おおよそ猫の集会場とはいえない場所だった。どこかと言えば、何の変哲もないマンホールだったのだから。
 ある程度人通りのある道のど真ん中にあるマンホール前でクーは足を止め、おもむろに壁に立てかけられていた錆ついた棒のようなものを手にとると、二人の前で、マンホールの金具に棒を差し込んで、体重をかけて横にずらし開けた。
 マンホールとて金属製。クーの腕力では少々苦しかったので二人は手を貸して、十秒とかからずに子供一人どころか二人は通れる空間が口を開いた。
 道路から雨の残りが穴の中に注ぎ、滴る。
 内部が見えないので、あたかも猛獣の口の中に飛び込もうとしている錯覚を覚えてしまう。

 「ついてきて」

 暗闇をみつめて唾を飲み込む二人とは対照的に、クーはクロを片手に抱き、躊躇することなく穴の中に潜りこむと、梯子を使い中に消えた。
 クーの行動から察するに、マンホールに入るところを見られてはいけないのだろうと直感したジャックとアルメリアは、我先にと中に潜りこむと、力合わせてマンホールを中から閉めた。
 照明なんて便利なものの無き内部は、とにかく暗かった。瞳孔が身を竦ませる、目の奥が痛んだ。

 「見えねーじゃん。アル、ライト」
 「ないよそんなの。お兄ちゃんは持ってないの?」
 「兄貴から貰った奴、部屋に置いてきた………」
 「あの変な色の? やだ」
 「変っていうな、センスがいいって言え」

 暫し沈黙。子供だけあって体が小さい二人は、梯子のほぼ同じ位置に捕まってひそひそ相談する。
 頼りになるのはマンホールに空けられた穴から差し込む僅かな光、聴覚、触覚、そんなところだった。
 下に行ったきりうんともすんとも言わなくなったクーがどうしたのか不安に駆られた二人は、これまた我先にと押し合いへしあい下に降りていく。水色のワンピースが黒ずんでいく。間違いなく母親は怒るだろう。
 マンホール=下水道 なんて式が頭にあっただけ、なぜ内部に異臭が無かったのか不思議でたまらない二人だが、それもそのはず、ここは今は使われていない地下配管の整備用の空間だったのだから。
 やっとの思いで最初に最下層に降り立ったアルメリアは、秘密基地にきたようだなと思い、ワクワクしていた。

 「なんつーかあれだ、墓場っぽいなここ」
 「何のお墓?」
 「蛇とか」
 「蛇どころかなんにもいないね」

 一方ジャックは、その空間を墓場と称した。
 ワニの内蔵を引きずり出し、絵具を狂ったように塗りたくり冒涜的に並べたと言おうか、用途不明のパイプ、計器板、レバー、その他意味のわからない何かが壁の至るところにある。
 錆びの進行具合から推測するに少なくとも数十年は整備がされてないようで、地面には埃が積もっていたり、虫の死骸があったり、お世辞にも綺麗なとはいえない。
 なるほど、墓場と言う表現も中々秀逸ではないか。
 ホラーなら骸骨の一つでも転がっているところだ。そんなものは間違ってもないだろうが。
 アルメリアは、姿の消えてしまったクーを探すべく視線を彷徨わせて、口を恐る恐る開いた。

 「クー姉?」
 「俺らクー姉においてかれたんじゃね?」
 「そんなことないもん」
 「よっし、じゃあ探検な」

 暗闇の向こうを眺めてもクーの姿どころかクロの尻尾すら見えなくて、不安が込み上げてきた。
 アルメリアはその場にとどまろうとしたのだが、好奇心抑えられぬジャックが適当に散策せんと歩きだしたのでやむを得ず後ろをついていく。
 通路を進んで、なんて考えるもまもなくクーの姿が暗闇から浮かび上がった。
 マンホールの隙間から入り込む僅かばかりの光を蒼き瞳が反射していた。

 「こっち」
 「どこにいたのクー姉!」
 「ここにいた。目が慣れてくれば見えなくもないけど足元と頭上に注意してついてきて」

 クーは背中を向けると、ひょいと身をかがめクロを引き連れて奥へ歩いていく。
 一拍おいて、

 「ぐへっ!?」

 クーを見るばかりで頭上から突き出たパイプの残骸に気がつけなかったジャックが額を強打してうめき声をあげ涙目になった。徒歩の速度で激突。小走りだったら出血しても不思議ではなかった。
 狙ったようなコミカルさにアルメリアは吹きだした。
 ジャック、口をヘの字にし額を擦りながらずんずんとついて行く。
 ただでさえ位のに、クーの歩調がいつもとなにも変わらないことが二人の不安をかえって煽る。平地だったら普通の速度でも、知らない、暗い、狭い、の三要素が手を繋いでいるのだから察するに難しくない。
 時折聞こえるは、空気の流る音と、水の垂れ砕ける音。
 外の気温も、この場所では感じることができない。
 どれだけパイプや機器の隙間を越えていっただろうか、暫くすると、あまりに突然に景色が開けた。
 地下道と表現しても変ではない、空間。ひび割れた天井から差し込む光から、ここは地上に近い位置にあるというのは分かったが、座標までは分かりはしなかった。
 どこかの工場の中のようだったが、ゴミがあっちこっちに捨てられていて、中にはどうみても不法投棄された品も混ざっていた。
 突き出した鉄骨からは錆びた赤、降り注いだ雨粒がそれを覆い、先端から液が伝う。

 「ここは……」
 「詳しくは知らない。……もうじき、集会が始まるはず」

 そういうとクーは何気なくその場に座り込んで、左右の地面を掌で叩いて座るように促した。二人は大人しく座ると、息を潜めて待った。
 数分後、忍耐力の乏しいジャックが根を上げ、肘杖で地面に寝転がった。

 「まだ?」
 「きた」
 「うえっ」
 「静かに」

 突然、雰囲気が変動した。
 遠くからにゃあにゃあと鳴き声の洪水が溢れくるや、暗闇の向こうから白猫、黒猫、三毛猫、奇妙な巻き毛の猫、片目が濁った猫、まだ小さい猫、など数えきれない猫がぞろぞろ。
 しかも、いつの間にか背後から、壁の隙間から、至るところから猫が湧いて出てくる。
 いずれの猫も三人がそこに存在しないもののように視線も合わさず、廃墟空間の中央へと集合していくと、思い思いの相手とじゃれたり、顔を寄せたり鳴き声を上げたりし始めた。
 猫の集会といっても、人間でいうところの司会なんてものはいないわけで、このようになる。
 まるで猫の絨毯のような光景に、猫と共に行動してきたクーはとにかく、アルメリアとジャックは目を丸くした。
 猫、猫……猫猫、猫―――……ねこ、ネコ、猫。
 少し離れてみることができたのならば、猫絨毯が蠢く様が分かるだろう。色と紋様を組み合わせてメルヘン世界を表現する絵本の中の出来事がまさにすぐそこにある。
 暗所に手を伸ばす境界のはっきりした光が、赤錆と埃だらけの場所にたむろする猫らの毛並みを、明るくも美しく照らしている。
 見方を変えれば何一つ面白味も無い光景かもしれないが、兄妹にはとてもよい光景だった。主観とは文字通り見方の違いなのだ。
 猫絨毯に飛び込みたくてうずうずしはじめたジャックが、指と指で窓を作り間から片目をつぶり構図をとる。絵を描きたいわけではない。写真を撮りたいのだ。

 「カメラ持ってくればよかったわ。父さんのアレ、持ちだしてくれば撮れたのに」
 「お父さん、大切にしてたし怒られるよ」
 「よし携帯で……持ってねー」
 「私も無いよ」

 アルメリアは首を振り、汗でずり落ちていた眼鏡のつるを上げ、数m先でじゃれる猫二匹を見つめる。

 「あっ、クー姉持ってる?」

  クー、首を横に振る。

 「………家に忘れてきた」
 「ちょーい、悔しいぜ………。絵になるのに。モーマクに焼き付けるしかねぇのかなぁ」

 猫の鳴き声は徐々に引いていき、一匹、また一匹と姿を消していく。
 同族の会議に出席するべきなのか迷い続けていたクロは、クーの隣でずっと静かに待っている。彼は今の今まで大人しく待ち続けていた。
 やがて、時間が経つごとに猫達が一匹一匹姿を消していき、最終的に猫といったらクロ以外には居ないという静けさが戻ることとなった。要した時間は、集合に要した時間と大差なかった。

 「……そろそろ、帰る」

 クーは二人の案内を完結し、お尻の埃をぱんぱんと叩いて立ち上がると、元来た方に足を向けて帰ろうとした……が、両手をジャックとアルメリアが素早く握ると、両左右から挟みこむ。
 戸惑うクーに、二人はきゃっきゃ元気に誘う。
 相手が年上だろうとお構いなしだった。

 「えー? もっと遊ぼうよー!」
 「よっし、今度は俺が兄貴に教えてもらった秘密の場所に案内してやんよ」

 やんややんや勝手に二人が盛り上がり、暗闇もなんのその、手を繋いだまま元来たマンホールの方へとずんずん歩きだす。
 クーは、逃げように逃げられず、諦めて今日一日は遊び倒してしまおうと決めたらしくて、手をぎゅっと握ってとんとん歩きだした。
 三人はマンホールを出ると、年相応に遊び回ったとか。



           【終】


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