当たり前の事


 電車の中、吊革に掴った碇シンジはボンヤリと窓の外を眺めていた。いつも眺める悲しげな夕日。
今何処を走っているのか、終着駅が何処なのか、シンジは知らなかった。別に知る気もなかった。
仮に知ったとしても敷かれたレールを進む以外、自分に選択肢はないと思っていたからだ。
―――この電車は何時でも夕暮れだよな。そういえば街を見るの、久しぶりかもしれない。
 そしてふと思う。普段の自分は座席に座って下を向いていたはずだ。そう、目の前の少年のように。
「また来たのかい。こんな事してるヒマ、君にはないんじゃないかな?」
 目の前に座っていた少年がシンジを見上げ、呆れた様な声を出した。1メートルも離れていないのに
顔は良く見えない。それでもきっと自分と同じ顔をしているんだろうな、とシンジは思った。
―――いつもの事だよ。どうせキミもヒマなんだろ。いつも居るじゃないか。
 シンジの精一杯の軽口に少年は肩をすくめる。『なに言ってんだよ』そう言いたげな態度だった。
「まぁ、いいさ。今日は込んでるみたいだから、またな……」
 少年の言葉の途中、多少の振動と共に電車が停車した。何処へ到着したのか、ホームを見ても駅名は
見当たらないし、人影は無い。気が付くと座席に少年の姿は何処かへ消えていた。

 無人の駅。降車する客に憶えなどないはずだが、見た事のある者が混じっていたような気もした。
降りる者はいても乗り込む者はいない。そして降りた者は何処へとなく姿を消していった。
―――ここが何処だか良く分からないけど、みんな降りてるし、ボクも降りようかな?
 ホームに降りる乗客を見つめながら、そんな事を考えていると背後に気配を感じた。
「何も成さないまま、ここで降りるつもりか」
 聞き覚えのある低い声。ゼンガー・ゾンボルト。交わした言葉は少なかったが、決して忘れはしない。
―――無事だったんですね。良かった、本当に。僕も一緒に行って良いですか?
 彼はシンジの肩を軽く叩き、そのまま横を通りホームへと降りた。
「降りたいなら降りろ。人に頼るな、自分で決めろ」
 その一言だけ言うと悩んでいるシンジを後に、振り向きもせず消えていった。
―――ボクはゼンガーさんみたいに強くはないんです。
 自嘲気味に呟いた。自分で決断する。それはシンジにとって一番の難問だった。

「よぉ! テメェ、シケた面してんじゃねぇーよ!」
 迷っていると突然、無駄に陽気な大声の男にヘッドロックを掛けられ、髪をクシャクシャにされた。
―――何なんだよ一体。そもそも誰だよ、この人?
 顔は良く分からない。見た事はないが、声を聞いた事があるような気がした。
「つまんねぇ事で腐ってんじゃねぇよ。俺はぁ一足お先にリタイアすッけどよぉ、お前は頑張れよ」
 腕を放しながら男はアクの強いアクセントで言い放った。やはり何処かで聞いた気がする。
男が降車するのをシンジは軽く手を振って見送った。男は振り向かず片腕を上げて答えた。
「お前は立派な人殺しなんだからよぉ。一人殺すのも二人殺すのも一緒だぜぇ。ガンガン殺せよなぁ」
 シンジは言葉の意味に、声の主に思い当たった。
―――そうだ。ボクは人を殺したんだ。自分の意思で。
 そして彼らが何処へ行くのか、電車から降りる事が何を意味していたのか、なんとなく理解した。

 電車はまだ動かない。不気味なほど静かで殺風景なホーム。ふと視線を送った駅の外に彼女はいた。
寂しげな街中に、制服を着た赤い瞳の少女が立っている。いつか見た気のする場所だと思った。
―――どうして綾波がそこに? 早くこっち側へ……… 
 良くは分からないが、ここがシンジの想像通りならば『降りていてはいけない存在』のはずだった。
「大丈夫。私は二人目だから。それよりも………」
『ジリリリリリリ………』
 言葉を遮って発車を告げるベルが鳴り響いた。声は聞こえなかったが綾波レイの指差した車両には、
奇妙な格好の乗客に混じって吊革に掴っている金髪の少女の姿があった。赤い髪飾りが特徴的だ。
―――アスカ、こんな近くにいたんだ。綾波も早く乗らないと………
 視線を戻すと綾波の姿は既に無く、どこからか『さよなら』と声が聞こえたような気がした。
悲しくなるから聞きたくない言葉だった。ようやくシンジは綾波のいなくなった場所を思いだした。
それは初めて第三新東京市に来た日、綾波レイと出会う前に彼女を見た場所。
 電車は再び動き始めた。


 無様に突っ伏した大雷凰の操縦席でシンジは目を覚ました。森を彷徨う内に倒れたらしい。
「うぐっ」
 体を起こそうとしたシンジは全身に走る痛みに言葉を失った。涙が出るほど痛いが、なんとか我慢
して起き上がる。一応、彼も男の子。
「このくらい………」
 少し涙が出ている。システムLIOHの後遺症などではない。発動しただけで、その隠された力を発揮し
たわけではないのだから。汎用システムと言っても軍人向け、中学生には大きな負担を強いる。
要するに筋肉痛だ。他の参加者に比べ、シンジは根本的に体力が足りない。
「そうだ。昨日は………」
 昨夜の事を思い出すと案の定、悲観的な自分会議で落ち込み始めたが、本格的な鬱モードへの突入は
抗議の悲鳴を上げた腹の虫によって阻止された。
「そういえば、一昨日の夜から何も食べてないんだよな」
 生き抜く。そう決めた矢先に飢え死にしたのでは、流石にゼンガーに会わせる顔がない。軍用機なら
何かあるはず、と操縦席を漁ってみた。どこをどう見ても特機なのだが、EVAとNERVを基準としている
シンジにとっては『ロボット=軍の秘密兵器』なのだ。
「サバイバルナイフに、こっちは救急箱と………薬かな?」
 救急箱には消毒液や抗生物質やモルヒネ他多数が詰め込まれており、Cレーションもあった。
「包帯と注射器くらいしか分からないや。ケンスケなら分かるんだけどなぁ」
 まともな軍事知識を持たないシンジには『見慣れない薬が一杯』としか見えない。折角の非常食も
食べられなければ無いも同じ。仕方なく十分に周囲を警戒してから機体を降りる事にした。
「やっぱり、大きい………よな」
 座らせていても小さなビルほどもある大雷凰を見上げて、人間の大きさを再認識する。護身用に
ナイフを持ってきたが気休めにしかなりそうも無かった。
「美味しい!」
 大き目の葉っぱで草木に付着した朝露を集めて飲んだ。渇いた喉に森の恵みが心地よい。ただの水を
『美味しい』と思ったのは初めてだった。良くも悪くも都会育ちのチルドレンである。

 突然、何かが茂みの中から飛び掛ってきた。シンジの脳裏に『死』が浮かび上がる。
「う、うわあぁぁぁぁ!」
 無我夢中でナイフを振り回したが眼を閉じてしまっていては当たるはず無く、足をもつれさせ派手に
転んだ。ナイフで自分を傷つけなかった事を幸運と言って良い程、無様な転倒だった。
「リス? それともキツネ、かな?」
 倒れたシンジの視線の先で、小さな動物が純真無垢な瞳で見つめている。心底ホッとすると同時に、
自分の間抜けさ加減で全身の力が抜けた。この光景をアスカが見ていたなら、半年は馬鹿にされそうな
滑稽な醜態だったと言えよう。
「ごめんよ。今、食べ物は持ってないんだ」
 危険が無い事が分かって優しく話しかける。しかし活動を再開した腹の虫に危険を感じたのか、
キツネリス(仮)はシンジから距離を取った。腹の虫は全ての生命体に共通する危険信号なのだろう。
(捕まえれば、食べ物が手に入る)
 とっさにそんな事が頭に浮かぶ。生肉はパックの物しか知らない。生の動物を捌いた事は無いが、
生き抜く為にはそうも言ってられない。
「おいで」
 ゆっくり身を起こすと、キツネリスに優しく手招きをした。後ろ手に鈍く光るナイフを隠して。
逃げられたら次のチャンスはないだろう。膝を着いたまま、慎重に間合いを詰める。
(ごめんよ。キミは全然悪くないんだ。でもごめんよ)
 ゆっくり、ゆっくりと近づいて行く。造り笑いは得意だった。自分でも凄く嫌な笑顔を浮かべている
と思う。しかし再び鳴った腹の虫に、キツネリスは茂みの中へと姿を消してしまった。
(逃げられちゃったな。それじゃ、仕方ないよね)
 ゴロンとその場で大の字に寝転がる。残念なはずだがシンジは少しホッとしていた。生きる為には
必要でも、自分の手を汚す事には抵抗があった。エゴなのは分かっている。
(お腹減った。そういえばアスカは何か食べたれたのかな?)
 大の字になったまま、どこかにいるはずの少女を思う。料理など出来ないはずだから、きっとお腹を
減らして文句を言っているに違いない。そんなシンジの想像は、大筋で正解であった。


 気が付くと、いつの間にか先程のキツネリスが戻ってきていた。その前足には奇妙な実を抱えている。
「………もうお前を食べようなんて考えないからさ。えっ、くれるの? ぼくに?」
 実を器用に前足で掴んで差し出す姿は、とても可愛らしい。実を受け取るとキツネリスは再び茂みの
中へと消えていった。奇妙な色に光る実は、とても不気味で食べられそうには無かったが、その好意が
嬉しかった。同時に自分の行為が恥ずかしく思えた。
「………生きるって、一人だけで生きてる訳じゃないんだよな」
 なにか当たり前の事を忘れていたような気がする。



【碇シンジ 搭乗機体:大雷鳳(第三次スーパーロボット大戦α)
 パイロット状態:良好(空腹だが精神は安定)。全身に筋肉痛
 機体状態:右腕消失。装甲は全体的軽傷(行動に支障なし)。背面装甲に亀裂あり。
 現在位置:H-4の森
 第1行動方針:アスカと合流して、守る
 第2行動方針:出来るだけ助け合いたい
 最終行動方針:生き抜く
 備考1:奇妙な実(アニムスの実?)を所持
 備考2:救急箱やレーションを所持(でも使い方を知らない)】

【二日目 5:30】





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最終更新:2025年01月12日 22:17