彼らの選択(後編)
E-7基地の一室で、コンソールを叩く音が響く。
ユーゼスは何かに取り憑かれたように、ゼスト修復の手段を模索していた。
傷穴は一向に塞がる気配を見せない。
本当に、魂達が悪足掻きをしているとでもいうのか。
これから6時間にも満たない時間で、自己修復できる保証はなかった。
(ならば、私の手で直接修復に着手すれば……いや、時間が足りん)
既にゼストの調整は最終段階に入っている。
傷一つの修復のために調整を中断し、今から後戻りすることなど出来ない。
もう時間がないのだ。修復と調整の両方を完全に終えるには、6時間では到底足りない。
(どうする……どうすればいい……?)
とりあえず、この場を凌ぐ方法はある。
新たな別個の機体を、ゼストに取り込むことだ。
取り込んだ機体をゼストの依り代とし、一時的に器として代用する。
修復までの時間稼ぎ……最低でも、この6時間を持たせるくらいは容易なはずだ。
問題は、その依り代となる機体だ。
最低限、ゼストのパワーに耐えられるだけの力を持っていなくてはならない。
ベストはやはりディス・アストラナガンだ。
ディス・レヴを動力とする冥界の神ならば、ゼストの器として相応しくすらある。
グランゾンでもいい。光の巨人の力を得た修羅王でも、可能かもしれない。
そのいずれか一つでも取り込むことができれば、今のこの問題は解決する。
だが、今ゼストを起動している一番の理由は、そもそも彼らに対抗するためということを忘れてはならない。
ゼストで戦える時間は、僅か3分。いかにゼストが強大な力を持っているとしても、
その3分間で、彼らのうちの1体でも確実に捕えられるという保証はない。
今のように、また亡者どもに阻まれる可能性も否定できないのだ。
特にグランゾンはまだ切り札を隠し持っているフシが見受けられたし、
光の巨人の力を得たという修羅王に至っては、未だその全貌を掴めていない。
今のゼストで、正面から無策のまま挑むには、あまりにも分が悪い。
ここまでの成果の全てを、無謀な賭けのチップに使うほどユーゼスは酔狂ではなかった。
では、他に代用できる機体はあるか?
この際何でもいい。空いた風船の穴を、一時的にでも塞ぐことができれば。
基地に残っているヴァルク・ベンなどは、論外。
だが、選考漏れした機体の中にある、強力な特機なら、あるいは――
その時。
「む……!?」
ユーゼスは、通信機のランプが点灯しているのを発見した。
「これは……生きていたのか!?」
驚愕と共に、仮面の下の口元が吊り上がる。
点灯しているのは、特殊回線――『ある機体』への直通回線が、稼働していることを示すランプだ。
「そうか……生きていたか、W17……ククク……ハハハハハハッ!!!」
箍が外れたような笑い声が、部屋の中に響いた。
まだ、運には見放されていない。
私には、最高の保険がまだ残されていた――!!
* * * * * * * * * * *
白と黒。天使と悪魔。光と闇。
ぶつかり合う二つの力は、その全てが相反していた。
力だけではない。両者の信じるものさえも、もはや交わることがないように思えた。
ラーゼフォンの右手に握られたディバインアームが、勢いよく振り下ろされる。
それをZ・Oサイズで受け止めるアストラナガン。
「くっ……!」
得物と体格の差が、じりじりとアストラナガンを押し込んでいく。
「どうした、そんなものではあるまい……それとも余裕のつもりか、アストラナガン!」
先の戦いでヴァルシオンを吹き飛ばした時のパワーが、今のアストラナガンからは見られない。
「ッ……言ったはずだ、お前と戦うつもりはない!」
「私にはある、お前を倒す理由がな!」
ラーゼフォンの空いている左手に光が集まり、剣が形作られる。
間髪いれずに相手の胴体目掛けて、光の刃を横薙ぎに切り払った。
「ちっ!」
背後に跳び、紙一重で避けるアストラナガン。光は宙を切った。
それでもラーゼフォンは追撃の手を緩めない。すぐさま距離を詰め、斬りかかる。
剣の扱いは、ラミアに分があった。加えて、ディバインアームと光の剣の二刀流。
クォヴレーは接近戦を不利と悟るや否や、上空へ急上昇し、ラーゼフォンより離脱を図る。
「逃がさん!」
追いすがってくるラーゼフォン。振り切れない。
レプリカとはいえ、ラーゼフォンの性能は限りなくオリジナルに近づけられている。
いかに力を取り戻したディス・アストラナガンといえど、決して油断できる相手ではない。
「クォヴレー……どうした!?何故ガン・スレイヴを使わん!?」
その戦いぶりを見るに見かねたか、地上からイキマの叫びが聞こえてくる。
彼の言う通り、クォヴレーは明らかにラミアに対し攻撃を躊躇っていた。
対するラミアも、アストラナガンの不自然な躊躇に警戒し、隙の大きな大技を控えている。
必然的に戦いは、地味な小競り合いの繰り返しとなっていた。
「クォヴレー!!聞こえているのか!?」
「わかっている!だが、彼女もまた……ユーゼスの犠牲者だ」
「私が犠牲者だと?」
クォヴレーの言葉に反応したのはラミアだ。その声には不快感が孕んでいる。
「ラミア、やはりお前はこれ以上ユーゼスの所にいるべきではない!
それだけの強い意志を持っているなら、尚更だ!」
その呼びかけに、ラーゼフォンは左掌から光を撃ち放つことで返す。
「このままユーゼスの下にいれば、お前は不幸な結末を迎えることになる!」
放たれた光に対し、アストラナガンは回避運動を取りつつラアム・ショットガンで迎撃。
戦闘は接近戦から、中距離での射撃合戦へと移行する。
「知った風な口を……!」
「知っているんだ!奴の野望の踏み台として、どれだけの犠牲が生み出されたかを!」
クォヴレーは知っている。イングラムの記憶から繋がる、ユーゼスの過去を。
ユーゼスのエゴの踏み台として、どれだけの者達が理不尽に踏み躙られていったことか。
それは彼の部下すら例外ではない。そもそも彼にとって、部下など利用対象でしかない。
ある世界におけるヤプール、ゴッドネロス、ウルベ・イシカワ、神官ポー。
またある世界のレビ、ラオデキヤ、大将軍ガルーダ……そしてイングラム自身も。
もっと広義に捉えるなら、その数はもはや数え切れるものではない。
ラミアも、遅かれ早かれ同じ運命を辿ることは目に見えていた。
「彼らと同じ末路を、お前にも辿らせたくはない……」
説得は絶望的だ。それでもクォヴレーは諦めない。ヴィンデルが自分に対しそうしたように。
「そして、お前にこれ以上の過ちを犯させるわけにはいかない!!」
しかし今の彼女には呼びかけるだけでは通用しない……その現実も理解していた。
だから――ラミアを止める。
光弾と銃弾がぶつかり、爆発が巻き起こった。
爆風と煙が一瞬だけ両者の視界を妨げる。
――好機。
「俺は、お前をッ!!」
その刹那を見逃さず、クォヴレーは勝負に出た。
「ユーゼスの呪縛から、解き放つ!!」
そこで初めて放出される、ガン・スレイヴ。
蝙蝠達はクォヴレーの意思に従い、ラーゼフォンの動きを封じるように動く。
これは倒すためではなく、救うための一手。
しかし――敵を討つ意思がない以上、それは決してチェックメイトとなり得ない。
「……呪縛から解き放つ……だと?」
ラミアの口から漏れた呟きは、自らを貶められた怒りに満ち溢れていた。
クォヴレーの『説得』は、確かにラミアのことを思っての言葉だったのだろう。
ただし……ラミアにしてみれば、それは最大級の『侮辱』に他ならなかったのだ。
逆鱗を触れられたラミアは、最大級の『侮辱』に最大級の『皮肉』で返す。
「仲間の呪縛に囚われ……無抵抗の人間を嬲り殺したお前が言うことか」
「――!!」
ぞっとするほど冷たい声が、クォヴレーの思考回路を凍りつかせた。
傷跡が深く抉られる。クォヴレーの全思考を、一瞬でも停止させられる程度に。
その一瞬と同時に、ガン・スレイヴもまた動きを止めた。
そこに生まれる隙を見逃すラミアではない。
クォヴレーが我に返った時、ラミアは既にガン・スレイヴの包囲網を突破していた。
さらに、全てのガン・スレイヴを、そしてアストラナガンをも、攻撃射程範囲内に収めていた。
「思い上がるな、虚空の使者ッ!!」
クォヴレーの目に飛び込んできたのは――見開かれたラーゼフォンの、黄金の瞳。
「これは私の意思!!そしてッ!!」
それから――大きく開かれた、ラーゼフォンの口。
「私の……望みだぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
ラミアの魂の叫びが、ラーゼフォンの猛き歌声となって響き渡った。
歌声は衝撃を伴い、アストラナガンへと押し寄せる。
その途中で、放ったガン・スレイヴが、次々と衝撃に呑まれ爆散していく。
「なっ――」
避けられない。そう判断するや否や、アストラナガンは即座にディフレクトフィールドを全開にする。
しかし――防ぎきれない。
「ぐっ……」
全身の装甲が軋む。装甲の一部に皹が入り、砕けた。
ダメージはコックピット部装甲にも及び、中の搭乗者に相応の苦痛を与えるには十分だった。
「ぐ……あああぁぁぁぁぁぁっ!?」
やがて、歌声は止まった。
悪魔の全身から力が抜け、手から鎌が滑り落ちる。
すぐ後に、悪魔もまたそれを追うようにして、力なく地面へと落ちていった。
搭乗者が意識を失ったか。
(やったか?……いや!)
ラミアに油断はない。
同じようにラーゼフォンの歌声を受けたあの男は、しかしそのまま終わりはしなかった。
最期の瞬間までユーゼスに牙を剥き、反撃の狼煙を打ち上げて見せた。
クォヴレーがこれで終わるとは思えない。ましてや、あの男の遺志を継いでいるとなれば。
(とどめはこの手で、確実に刺す……!)
ディバインアームを腰に当て、居合いの構えをとる。
ラミアの、ラーゼフォンの鋭い眼光が、手負いの悪魔を貫き――
次の瞬間。
天使は風を、そして光を超えた。
「奥義……光刃閃!!」
彼女のもう一つの愛機の、必殺の一撃。
その全身を一本の白き矢と変えたラーゼフォンは、一直線に悪魔へと向けて飛ぶ。
悪魔はそれに対応する素振りを見せない。
仮に対応できたとしても、この状態から光刃閃のスピードから逃れることなど不可能だ。
今の悪魔に、破魔の矢に抗う術はない。
勝敗は、決した。
――しかし。
その手の鉄杭が、悪魔の心臓を貫くことはなかった。
「何ッ……!?」
ラーゼフォンの刃は、異物によって阻まれる。
満身創痍で、まともに戦えないものだとばかり思っていた、赤い異物に。
「クォヴレーを……やらせるわけにはいかん……!」
ラミアの刃は、天使と悪魔の間に割り込んできたブライガーの胴体を貫いていた。
「イキマ……かッ!」
迂闊だった。悪魔を討つことに固執しすぎて、彼の存在を蔑ろにしていたか。
ブライガーの介入の可能性は、十分に考えられたというのに。
(そう、だな……お前達ならば、そうするはずだ……)
身を呈し仲間を庇う姿に、ラミアの奥底から何かがこみ上げてくる。
不快な感覚はない。ただ、それでいて――胸の奥がちくりと痛み、どこか後ろめたかった。
「ふ……ふふふ……!」
ブライガーから聞こえてくる不敵な笑い声に、現実に引き戻される。
感傷に浸っている場合ではない。
本能的に危険を察知し、ラミアの背筋に寒気が走り抜けた。
(まずい、離脱を――ッ!?)
串刺しにしたブライガーから剣を引き抜こうとするも――抜けない。
見れば、ブライガーの両手は、自らに突き刺さったディバインアームをしっかりと掴んでいた。
「なッ!?」
「悪いが、俺はクォヴレーのように甘くはないのでな」
イキマの口元に、壮絶な笑みが浮かぶ。
両肩の大砲の先端が、光った。
「地獄に……付き合ってもらうぞ……!」
そして――
轟音が、鳴り響く。
同時に、一筋の光が、空へと向けて昇った。
ブライカノンが、火を噴いたのだ。
アストラナガンが、地に叩きつけられる。
「ぐ……っ!」
その衝撃で、クォヴレーの飛んでいた意識が戻った。
どれだけの間眠っていたのか。
いや、現実には彼が意識を飛ばしていたのはほんの数秒にも満たない。
だが、今のラミアを前に、その隙は致命的だ。
「く、そっ……!」
朦朧とする頭を振って強引に覚醒させる。
そして、ラミアがいるであろう空へと視線を移した時――
最初に目に飛び込んできたのは、上空より落ちてくるブライガーの姿だった。
「イキマ!?」
直後、アストラナガンのすぐ横に、ブライガーの巨体が大きな音と共に落下する。
その姿は、酷いものだった。
ディバインアームが腹に突き刺さり、ブライカノンの砲身も砕けている。
目を覆いたくなるほどの痛々しい姿に、クォヴレーは顔面を青ざめさせた。
「イキマ!!しっかりしろ!!」
喉を痛めんばかりの勢いで呼びかけるクォヴレー。
「返事をするんだ!!イキマ!!」
最も恐れる可能性を過ぎらせる。今度こそ、紛れもなく自分のせいだ。
自分の戦いが、甘さと躊躇いが、仲間を危険に追いやることになってしまった。
不安、恐怖、それらが綯い交ぜになったものが、クォヴレーを包み込んでいく。
「……みっともない声を上げるな、鬱陶しい」
しかしブライガーから返ってきたのは、いつもと何ら変わらぬ調子の、イキマの声が。
「イキマ!?無事なのか!?」
「馬鹿がっ!気を抜くな!」
安堵の声を上げるクォヴレーに、即座にイキマの檄が飛ぶ。
「まだ戦いは終わっていないのだぞ!」
イキマの言葉に、クォヴレーは再び空を見上げた。
暗い空に、白い影が一つ。その金色の眼球が、自分達を見下ろしている。
ラーゼフォンは、未だ健在だった。
あの至近距離の砲撃からよく逃れられたものだと、ラミアは思う。
離脱自体はそう難しくはなかった。
ブライガーが握っていたのは、その腹に刺さったディバインアーム。
ならば、ラーゼフォンはそこから手を離せばいいだけのこと。
それからすぐにブライガーの前方――ブライカノンの軸線上から逃れた。
それでも、タイミングとしてはギリギリ……ほんの1ミリ秒でもラミアの判断が遅れていれば、
ラーゼフォンはあの光に呑み込まれていたことだろう。
ブライガーはピクリとも動かない。元々ダメージを受けていた機体だ。
光刃閃の一撃がとどめとなったようだ。今度こそ、もう放置しても問題はないだろう。
視線をずらし……本命、アストラナガンへと向ける。
ラーゼフォンの歌をまともに受けたはずのアストラナガンだが、既に立ち上がろうとしていた。
フィールドを全開にして防いでいたとはいえ、あれを受けてまだ動けるのは流石というべきか。
自分を、ラーゼフォンを見据えるアストラナガンに、メガデウスの姿が被る。
やはり、今ここで完全に叩き潰さねばならない。私の持てる、全ての力を持って。
歌声のダメージが響いたか、アストラナガンは満足に動けない。討つなら、今だ。
ラーゼフォンの両の腕に光が迸り、一対の武具を形作る。
左手には弓、右手には矢。悪魔を射抜く、必中の光。
弓に矢を番え、引き絞る。
ふいに、心が痛んだ。
あの、イキマがクォヴレーを庇った時に感じたものと、同じ痛みだ。
それと共に、脳裏に一人の少女の顔が浮かんだ。
今のラミアを形成した最後のきっかけとなった、あの娘の顔が。
(すまない、ミオ。やはり、お前はそちらで……私はこちら側だったようだ)
自分の選択が、結果的に彼女を裏切る形となってしまったのが心残りか。
これで、自分はもう戻れないような気がした。
だが、後悔はない。これが彼女の選んだ道だから。
「――さらばだ」
別れの言葉を告げる。
目の前の宿敵に。人の温かさを教えてくれた少女に。きっかけを与えてくれた修羅王に。
そして――『名も思い出せぬ多くの仲間達』にも。
引き絞られた矢は、アストラナガンに向けて――
『……こえ……か。W…7』
突如聞こえてきた声が、ラミアの思考と手を止めた。
(!?その声……!)
通信機から聞き覚えのある声が流れてくる。
それは紛れもなく、自分が捜し求めていた主の声。
ラミアがその身を案じ続け、再会を望んでいた主の。
「ユーゼス様!?ご無事であられにございましたか!?」
思わず声を上げる。言語機能の障害で些か空気を台無しにしつつ。
『ようやく繋がったか。フォルカを取り逃がし、生き恥を晒しているようだな。W17……』
「申し訳なかっちゃったりするでごわす、ユーゼス様」
『……構わん、普通に喋れ。それに、今は任務の失敗は問わぬ。
何にせよ、お前が無事であるのは僥倖だった』
雑音交じりの中聞こえてくるユーゼスの物言いは、相変わらず冷え切っている。
ラミアの無事を喜んでいるようだが、それはあくまで彼女に利用価値があるからに過ぎない。
そしてラミアもまた、彼がそういう人間であることは十分理解していた。
やはり、主の中に自分の求めるものはなく、自分の選んだ道は険しいであろうことを再認識する。
『今や通信もままならぬ状況だ。用件だけを伝える。
私は今、E-7にいる。大至急、こちらに来てもらう』
「了解した。クォヴレーの始末後、すぐにそちらに向かう」
『その必要はない。奴にそれ以上手を出すことは許さん』
とどめを制止するユーゼスの命令に疑問を抱く。イングラムの時と同じだ。
以前の彼女なら大人しく命令に従っていただろうが……今は違った。
「無礼を承知で言わせて貰うが……あの男を放置するのは危険ではないか」
『ほう……人形風情が、この私に意見すると言うのかね?』
正面から自分の意を主に申し出る。対するユーゼスは感情を崩さない。
「あの男は力と記憶を取り戻した。その危険性を考慮した上での意見だ。
後顧の憂いを完全に断つためにも、ここで確実に始末すべきではないかと」
引き下がらないラミア。それは命令に従うだけのバルシェムのものではなかった。
『フフフ……そうか。そういうことか。ククク……』
突然ユーゼスは笑い出す。
人間のような口を利くバルシェムに怒るわけでもなく、むしろ心底愉快そうに。
「ユーゼス様?」
『ああ……すまない。お前がそこまでの領域に到達したことに、少々嬉しくなってな』
彼らしくもない発言に、ラミアは眉を顰めた。
解せない。彼は人形でしかないバルシェムに、人間らしさなど求めてはいないはずなのに。
疑問を抱くラミアを意に介することなく、ユーゼスは続ける。
『とにかく、奴は放置して構わん。今はむしろ、あれを破壊されては不都合なのでな。
敵はもはやあの男だけではない。私に刃向かう全ての敵に対抗するためにも、
今は一刻も早くお前の力を要する』
「しかし……!」
『ここでお前と、そしてラーゼフォンを失うわけにはいかぬ。
それともお前の独断で、私を不利に追いやるつもりか?』
そうまで言われては、引き下がるしかなかった。
ラミアにはそれ以上の反論を行えるほど、事態を把握できていない。
「……了解。ですが、後で事情は聞かせて貰いますですことよ」
ラミアの最後の言葉に返事をすることなく、通信は切れた。
溜息が、ひとつ漏れる。いつものことだ。
一番知りたかった情報であるユーゼスの消息、そしてその居場所は判明した。
そしてクォヴレーも放置しろと、命令を受けている。
もう、この場に用はない。
眼下のアストラナガンとブライガーを、ラミアはどこか複雑な表情で一瞥する。
「命拾いしたな……番人」
そう一言呟くと、ラーゼフォンは、E-7へと向けて飛び立った。
南東の空に飛び去る天使を、クォヴレーは呆然と見送っていた。
(どういうつもりだ?とどめは刺せたはずだ)
アストラナガンのダメージは、決して小さなものではなかった。
ラーゼフォンの歌声をその全身で受けたことで、傷のない箇所などほとんど存在しない。
装甲のあちこちに皹が入っている。砕けている箇所も所々存在する。
フィールドを全開にしていなければ、確実に分子崩壊を起こしていただろう。
既に損傷は自己修復が始まっているが、短時間で癒しきれる傷ではない。
(ユーゼスとの決戦を前にして、なんというザマだ……!
俺が……甘かったのか……?)
明らかに自分のミスだ。ラミアを倒すことを躊躇わなければ、こうはならなかった。
彼女を止めようと説得したはずが、火に油を注いだだけの結果で終わった。
最悪だ。機体に余計な損傷を与え……あまつさえ仲間をも窮地に立たせるとは。
「イキマ、大丈夫か?」
「大したことはない……もっとも、ブライガーは完全に動かんようだがな」
ブライガーに深々と刺さったディバインアームに目を移す。
少しでも刺さり所が悪ければ、イキマの命も失われていただろう。
そうでなくても、急所こそ外れていたとはいえ……あの攻撃で爆発しなかったのが不思議なくらいだ。
「……すまない、イキマ。俺はまた、過ちを犯したらしい……」
謝罪するクォヴレー。その顔は悔しさに歪められ、噛み締めた唇からは血が垂れていた。
「甘い考えで戦ったばかりに、お前を危険に……!」
「ふん……つまり俺の行為は、完全に道化だったと言いたいか」
自分を責め続けるクォヴレーを止めたのは、イキマの苛立たしげな声。
「イキマ……?いや、俺はそんなつもりで言ったのでは……」
「ふざけるな。そんなに過ちを犯すのが怖いか、臆病者が」
クォヴレーはまたも無意識のうちに、何もかもを自分ひとりで背負い込んでいた。
それを察したが故か。イキマの言動はいつになく棘が強い。
「その程度の覚悟では、あの女が説得できなかったのも当然だろうよ」
「なんだと……どういう意味だ……!」
流石にクォヴレーも、そうまで言われては憤る。
だが次の一言で、クォヴレーは押し黙らざるを得なくなった。
「わからんか?ならはっきり言ってやる。
……いつまでヴィンデルのことを引きずっているつもりだ」
「っ……!そんなことは……」
ない、と言い切れなかった。
彼の魂が許してくれたとしても、彼の命を、可能性を奪い取ったことは紛れもない事実。
まだ、彼の死を乗り越えきれてなかった。そんな自分に気付き、クォヴレーは目を伏せる。
「……言っておく。あの女は手強いぞ。迷いがない。
それも、迷いを捨てたのではなく……乗り越えた口だ」
イキマの言っていることは、クォヴレーにも理解できる。
ラミアの戦いには意思あるものの誇りすら感じられた。
「あれは、半端な覚悟で説き伏せられるような相手ではない」
「そう……そう、だな」
迷いを乗り越えた上で、自らの意思でユーゼスに従うことを選んだ。
それを過ちなどと否定されて、怒らぬ者がいるだろうか。
「俺は……ラミアをユーゼスという呪縛から解放させたいと思っていた。
だが、本人がそれを呪縛ではなく、自ら望んでいたなら……
彼女をユーゼスと引き離すことが、彼女の意思に反するのであれば……俺は……」
「さあな。何が正しいかなど、俺にはわからんよ。
それよりも……だ」
哲学や禅問答を語るほど余裕はない。イキマはそこまでの話を一旦中断し、仕切り直す。
「ラミアは南東に向けて真っ直ぐに飛び去った。方角から考えて、向かったのはE-7だろうな」
「……何?」
そう言われて、初めてその不可解さに気付く。E-7は、ユーゼスのいる場所だ。
心乱しすぐに気付かなかったが、ラミアのこれまでの行動を考えると、明らかにおかしい。
「待て、奴は最初、俺にユーゼスの居場所を尋ねていたぞ」
「そうだ。ここに来た段階で、ユーゼスの生死すら把握できていないようだった。
だが、奴はユーゼスのいる方角へと向かったのは事実だ。
……そもそも、お前を殺すとあれだけ息巻いていたあの女が、突然それを放棄したのもおかしい。
確実にお前にとどめを刺す機会があったにも拘らず、な」
ラミアの違和感を次々と指摘するイキマ。
どうやら彼のほうが、感情に先走り気味のクォヴレーよりも幾分冷静なようだ。
それにしても、イキマはいつになく雄弁だった。
「あの女の機体に直接、ユーゼスから連絡が入ったのかもしれんな。
奴のスパイという役割から考えても、ありえる話だ」
「ユーゼスが、ラミアを呼び寄せたというのか……!」
新たな可能性の浮上に、クォヴレーは危機感を抱く。
今になって、何のためにラミアを呼び寄せたのか?
ラミアに何らかの利用価値を見出したと考えるのが普通だ。では、それは何だ?
単純に自身の護衛か、あるいはユーゼスが態勢を整えるための時間稼ぎか。
もしくは、彼の野望のために――
「行け、クォヴレー」
イキマが言った。
「この期に及んでも、まだあの女を助けたいのだろう?
貴様らの甘ったるい思考には、もう慣れたわ」
半ば呆れた様子を見せるイキマ。それでも、そこに不快感は存在していないようだった。
「だが、お前は……」
「俺のことはいい。どの道、ブライガーはもう動けんよ。
遅かれ早かれ、ミオ達がこちらに向かってくるだろう。その時に拾ってもらう。
急げ。ラミアとユーゼスが接触すれば、もう取り返しはつかんぞ」
「しかし……俺に、ラミアの生き方に干渉する資格があるのか……?」
踏ん切りがつかない。まだ、迷いが残っている。
ラミアをこのままにしておけば、いずれ彼女は不幸な結末を迎えるだろう。
だがラミアがそれを覚悟しているなら、それを望んでいるなら――
自分が、それに口を出すことができるのだろうか。
「クォヴレー、俺がお前に言えるのは一つ……」
そんなクォヴレーに、イキマの導く声が届く。
「間違いを恐れるな。それだけだ」
「イキマ……」
「自分を信じろ。後悔のない選択をすれば、それでいい。
……少なくとも俺は、そうしたつもりだ」
目を閉じ、イキマは語り続ける。
「俺はお前達人間の敵だ。祖国、邪魔大王国への忠誠も捨ててはいない。
にも拘らず、今俺がお前達と共にいることは、祖国への裏切り行為に等しい。
そのことで苦悩したこともあった……いや、今だって葛藤を続けている」
クォヴレーは声一つ発せず、黙ってそれを聞いていた。
自分自身の過去と向き合い戦い続けてきたという点では、彼もまた同じだったのだ。
「だがな、この選択で……俺は後悔したことはない。
何故なら……ここまで歩いてきた道は、間違いなく自分の意思で選んだ道、だからだ」
そう言って笑うイキマを、クォヴレーは強いと感じる。
「もっとも……元を糺せば、あのアルマナという巫女のおかげなのだがな」
アルマナ。よく知っている少女の名前だ。
その目で彼女の亡骸を弔いながら、自分は情けなくも彼女のことを思い出すことができなかった。
だが、彼女もきっとこの世界で、自分の信念を曲げずに抗ったのだろう。
彼女の想いはイキマに受け継がれているのが、何よりの証明だ。
「まあ……そういうことだ。俺にできて、お前にできんはずはない。
自分の信念くらい……貫いて見せろ」
「自分の意思……信念で、か……」
「お前は、あの女を助けたいのだろう?ならば、本気でぶつかってやるのだな。
ただし、過ちを犯さぬためではなく、自分の意思を乗せて、だ」
「……そうだな」
イキマも、アルマナも、αナンバーズの仲間達も、そして恐らくラミアもやってきたことだ。
自分にも出来るはずだ。いや、やってみせねばならない。
アストラナガンは立ち上がり、ラーゼフォンの飛び去った南東の空に向き直る。
「行ってくる」
自分の中で燻っていたものが、吹っ切れたような気がした。
「ああ。どんな形でもいい……あの女と、決着をつけて来い」
イキマの言葉に、アストラナガンは親指を立てて返す。
そして、ラーゼフォンを――ラミアを追って、空へと飛び立った。
彼女を追う理由は、過ちを恐れてや止めるため、ではない。
自分自身の意思を、彼女にもう一度ぶつけるためだ。
記憶を奪われこの殺し合いに放り込まれて、不安に苛まれた果てに、過ちを犯した。
その経験は、クォヴレー・ゴードンという個に大きな影響を与えた。
それは当然のことだ。時の流れと共に、人は変わっていく。
本人の意思や、その善し悪しに関係なく。そして、昔の自分に戻ることは出来ない。
傍から見れば、彼の変化は弱くなったとも取れるかもしれない。
だが、それだけではない。この戦いの中で得られた強さもある。
(ありがとう、イキマ。
そしてトウマ、リュウセイ、ジョシュア――
俺はお前達と出会えたことを、誇りに思う――!)
クォヴレーは誓った。恐れも迷いも疑いも捨て、自分の信じた道を貫くことを。
どこまでも貫いて見せよう。これから先、どんな苦難が待ち受けていたとしても。
「まったく……世話のかかる」
一言呟いて、イキマはシートに深く背を預けた。
そして大きく深呼吸を一つすると、右手を腹に当てる。
(やせ我慢も、限界……か)
腹を触った手を顔面に掲げた。べっとりと、赤い液体が付着していた。
(さっきの一撃で、傷口が完全に開いたか……)
剣鉄也の襲撃を受けた時の傷だ。
開ききった傷口からは夥しい量の血が流れ、シートのほとんどを赤く染めていた。
イキマ自身の意識も薄れつつあり、視界には霞がかかっていた。
(ふふ……無様だな。二心を抱いた愚者の末路としては、似合いか)
自嘲気味に笑う。もう助からないことは、とうに承知していた。
(いや……その前に、やっておかねばならんことがある)
懐からメモ帳を取り出す。前にE-1で仲間との作戦会議でも使用した、
終わる前に、これまでに得た情報を書き残しておかなければならない。
こちらに向かっているであろう、ミオ達のためにも。
メモ帳を開けて……一緒に挿んでいたペンが見当たらないことに気付く。戦いの最中で落としたのか。
コックピット内を探せば多分見つかるだろうが、そんな余力ももうなかった。
やむを得ず、イキマは自分の指をペンの代わりにする。インクは、自らの血だ。
クォヴレーの復活に成功したこと。
ユーゼスがE-7に移動し、クォヴレーとラミアもまたそこに向かったこと。
その他、可能な限りの情報を用紙に書き連ねた。
(さて、と……)
最後の一仕事を終え、イキマは再びシートに背を沈めた。
霞がかった視界は、やがて白一色になり何も見えなくなる。
――もう、夢が終わる。
長いようで、あまりにも短い夢だった。
だが、その夢は百の年月にも相当する輝きがあった。
(いい夢を……見させてもらった……)
笑うイキマの表情は、穏やかだった。
自分にもこういう表情ができるものかと、イキマ自身も驚くほどに。
アルマナ。ジョシュア。トウマ。クォヴレー。リュウセイ。セレーナ。エルマ。
リョウト。ガルド。シロッコ。ミオ。フォルカ。マイ。そして、イングラム。
これまでに出会った人間達の顔が、走馬燈となって脳裏を駆け抜けていく。
何もかもが、懐かしく思えた。
だが、夢は覚めるもの。
自分は、アルマナやジョシュア達と同じ所に逝くことはないだろう。
何故なら、自分は決して人間達とは相容れることのない存在なのだから。
(さらばだ、俺のかけがえのない仲間達よ……)
夢の中の仲間達に、別れを告げた。
この瞬間、
反逆の牙を掲げ人間と共に戦った戦士イキマは、消滅した。
そして、邪魔大王国の悪しき戦士、イキマへと立ち戻る。
(ヒミカ様……どうか、お許しを)
敬愛する女王の姿が、さらにアマソ、ミマシらの姿が、瞼の奥に浮かぶ。
祖国に戻れなかったことだけが、最後の悔いか。
だが、案ずることはない。もう、宿敵である鋼鉄ジーグはいないのだ。
我らを阻むものはもういない。邪魔大王国の勝利は、約束されたも同然なのだから。
最後に浮かんだのは、今は亡き、その宿敵の姿。
(フフフ……そちらで決着をつけるか、ジーグよ……)
宿敵の姿は、すぐにイキマの前から消えていく。
その消える姿を追うかのように、イキマの意識も闇へと消えていった。
悲劇の中で、一つの奇跡が生まれ、輝いた。
それはこれまでに起きたことのない、そしてこれから先も決して起こりえることはないであろう、
小さく、儚く、しかし確かにそこに存在した奇跡。
今静かに、それは終わりを告げた。
【イキマ 死亡】
※イキマの死体の手に、情報の書かれたメモ帳が握られています。
最終更新:2008年05月15日 15:46