天使祝詞  ◆f/BUilcOlo



渚カヲルは波に揺られていた。
身体の力を抜き、ゆったりと、ただ流れに身を任せた。
水に浮かんでいるため自然と空を見上げる体勢になっている。
一面に広がる青空を白い雲が流れていく。日差しが強く、手をかざすと真っ赤な血潮が透けて見えそうだった。快い晴れ模様。
自分は今どこにいるのだろうと思い、首をひねり周囲を見渡すと陸地が見えた。自身が流されていく方向には薄っすらと光り輝く壁のようなものがある。
見覚えのある景色。この地に飛ばされて最初にいた場所に戻ってきたらしい、ということをぼんやりと認識。
そのとき一緒にいた存在は今はいない。
とても綺麗で、雄々しく、神秘的な、まるで天使か神様そのものの様な存在――ラーゼフォン。
そっと目蓋を閉じた。愁いを帯びる、哀悼の意を表す、別れを惜しむ、そんな表情。
目蓋の裏に浮かぶ、真白い羽を身に纏う姿。

「君の奏でる音色を、もっと味わっていたかったけれど……仕方が無いんだね。
 出会いと別れは、いつも突然で、必然だから。絆と孤独は、きっと同じものだから……
 それでも、またいつか会えたなら、聴かせてくれるかい? ラーゼフォン……君のその、歌声をぼばぶぶくぶくぶく…………」

波に身を飲まれ、言葉は泡に消えた。
そのまま沖へと攫われ、やがて光り輝く壁に吸い込まれていった。


 ◇


 The Sun will rise again
 The Sun will rise on me
   陽はまた昇る 私の上に

 The Sun will rise again
 Shining morning comes
   陽はまた昇る 明るい朝が

 We lost the past 40years of memories
 Missing the last 40years'memory
   思い出せない過去 忘れてしまった日々

 The Sun will rise again
 And we'll recall all our memory
   全てが蘇る

 Can't go anywhere,
 Don't know where we should go
 without knowing where we're from
   私達はどこから来たのだろう
   これからどこに行けばいいのだろう  

 I wanna know the truth
   私は知りたい


 ◇


渚カヲルは未だに陸に上がらず半ば眠るようにして海面を漂っていた。
陸に上がるつもりであればどうとでも出来たが、なんとなく、もう少しこのままでいたい気分だった。
やけに波が荒れている。激しく上下に揺さ振られながら、随分長い間、流されるままでいた。
そうしているうちに、いつしか不思議な感覚が芽生えて……というより、「こうだったら良いな」という考えが浮かんでいた。
何処かで誰かが自分を呼んでいる、その誰かの起こした波が自分をどこかへ連れて行こうとしている、そんなちょっと不思議な考え。
何を馬鹿なことを、と切って捨てることも出来たが、そうするよりも、誰かが自分との出会いを求めている、そういう風に考えたほうが素敵だと思えた。
根拠も何も無い考えだったが、実際のところ、彼は引き寄せられる様にしてそこへたどり着いていた。
太陽の位置と大体の現在時間から判断して東側、その方向の比較的近い位置に陸地が見えるくらいで、これといって目印になりそうなものも無い、海の中心。
何かが、コツンと頭を突いた。何かの機体の残骸だった。多分、知らない機体。辺りを見ると他にもいくつか細かい部品が浮かんでいた。
ここで戦闘があったらしい。結果はどうなったのだろう。死人は出たのか。この残骸は撃墜された機体のものなのか。
それほど残骸が多くないのは、単純に損傷が小さかったか、または殆どが海の底に沈んでしまったからだろうか。
海の底、陽の光の届かないその場所。そこへ追いやられてしまったものは滅多なことでは人の目にはつかず、そして、いずれ忘れ去られる。
記憶――ふとした拍子に消えてしまうこともある、なんとも不確かなもの。そうでありながら、強く、固く、確かに存在を存在足らしめるもの。
人々の記憶から消えてしまったものは、それが例えどれほど完璧に姿形を保持していようと、ある意味で死を迎えてしまう。
仮にそんな存在が海底にいるとすれば、自分をここへ運んできたのはきっとそれの意思だろう。
死にたくなくて、誰かに覚えていて欲しくて、他人を求めて――
と、己の思考に没頭しているところへ一際大きな波が襲った。あっと思う間も無く飲み込まれてしまった。
手足の自由が利かず、沈み込む水流に揉みくちゃにされた。浮かんでいた残骸と諸共に、下へ、下へと追いやられた。
水の重さがあらゆる方向から体中に圧し掛かる。耳に痛みが走る。鼻の奥がつんと熱くなる。水を飲み、その塩辛さが口内に広がる。
眼が眩む。骨が軋む。内臓が押し潰される感覚。耐え切れずに肺に溜めた空気を吐き出す。ずきずきと頭が痛む。
眼球を奥へ押し込むように水圧がかかる。堪らず目蓋を閉じる。暗闇が訪れる。海上、海底、自分がどちらへ向かっているかも判然としない。息が持たない。
そんな状態でありながら頭の中では、

(このままだと、そのうち、この身体は死んでしまうだろうな)

酷く冷静に、客観的に自分のことを観察していた。
苦痛を感じるということは、まだ生きているということだ。苦痛の終わりは命の終わり。そういう意味では肉体の痛みはむしろ喜びでもある。
肉体的苦痛に喜びを見出せる――では、同じように心の痛みにも喜びを感じることは出来るのだろうか。聞いてみたい気もする。
心が痛がりだから、生きるのも辛いと感じてしまう、ガラスのように繊細な心を持っている少年――

(シンジ君――)


 ◇


 The Sun will rise again
 The Sun will rise on me
   陽はまた昇る 私の上に

 The Sun will rise again
 Shining morning comes
   陽はまた昇る 明るい朝が

 One day,on a sunny day,
 Angel comes down
   ある晴れた日に 天使が降りてくる

 Angel leads us
   天使が導く


 ◇


渚カヲルは依然として水中にいた。その身体に、既に苦痛は無かった。
身体を卵形に覆う、膜のようなものがあった。
A.T.フィールド――オレンジ色に淡く輝く障壁が、相変わらず激しい動きを見せる水流と、彼の身体とを隔てていた。

「あまり、遊んでいるのも良くないか」

つい先程の死に掛けた体験を、彼はそう言ったものだった。
A.T.フィールドで覆われたまま、どんどん海底へと沈んでいった。
水に濡れて額に張り付いた前髪を指で梳く。目尻から垂れた水滴が頬をなぞり顎先から滴る。口の中にまだ海水の味が残っている。
塩気を帯びてべとべととした嫌な感触のする衣服が肌に張り付き、なんともいえない不快感を醸し出す。
元々海に飛び込んだのは自分からであるし、流れに身を任せてだらだらとこんなところまで来てしまったのも自分が原因なのだから、それに不平不満を言ったところで意味は無い。
それは分かっているのだが、やはり服に纏わり付くこの気持ちの悪い感触をどうにかしたい。シャワーを浴びて、着替えも欲しい、そう思った。
ラーゼフォンを亡くし機械人形と戦うには殆ど無力な状態になり、さてどうしたものかと考え、とくに思いつかず何となく波に揺られて飲まれてちゃぷちゃぷ掻き分けて。
つまるところ、一番の問題は乗り込む機体を失ったことだった。移動するにしろ、戦うにしろ、生身では不便極まりない。
といって新しい機体を手に入れる当てにしても、最初にヴィンデル・マウザーの言っていた「放送ごとに一機の追加機体を会場のどこかにランダムで設置する」というもの位しかなく、それも運良く自分の近くに置かれでもしない限り他の者に先を越されてしまうだろう。
いっそ何処かに誰かの乗り捨てた機体でも落ちていないものかと周囲へ眼を向けるが、そう都合よく海中にそんなものがあるはずも……
無いことも無かった。
見間違えではない。
確かにそこに、仄暗い水の底に鎮座する赤い巨人がいた。
あたかも一つの鉄の塊として鋳造されたかのような印象を受ける。重厚な胴体、歪な大きさを誇る前腕部。洗練された古臭さとでも言おうか。
ラーゼフォンとは対極に位置するような見た目でありながら、どことなく似たような神秘性を感じさせる。
ビッグデュオ。乗り手を失い、海底に沈んでいた巨人の名前。
少しの驚きと、大きな感動があった。
誰に知られることもなく海底に一人取り残されていた存在を見つけた。
誰の記憶からも消え去り、ある意味での死に瀕するところであった存在とめぐり合えた。
もしかしたら、本当にこの巨人は自分をここへ導いてきたのかもしれない。この自分との出会いを求めていたのかもしれない。
それはとても素敵なことだ。大変な喜びだ。新しい機体を手に入れた嬉しさなど取るに足らないことだった。
思い切って操縦席に乗り込んでみた。拒絶されることなく、すんなりと入り込めた。
あちこちで、きちきちと金属の擦れ合うような音が聞こえた。なんだろうと思いよく見ると、何か、とても小さなものが蠢いている。音の出所はそれだ。
それは戦闘中にビッグデュオに偶然付着した自己再生を可能とする金属細胞、マシンセル。
マシンセルによる損傷の修復は今も続けられていた。一度は切断された繋がりかけの右腕が、だらん、と垂れ下がっていた。
前に乗り込んでいた人物の痕跡は何も残っていなかった。身体も所持品も全て熱に焼かれ、マシンセルが破壊の痕跡すら消してしまった。
おかげでビッグデュオの動かし方が分からないが、些細なことだ。
今は、この出会いの喜びを歌いたかった。
天使を迎える歌、明日の朝日を迎える歌。
頭に浮かぶメロディ、言葉を重ねる。
歌は心を潤してくれる。
歌は良い。
心が躍る。

「The Sun will rise again.... The Sun will rise on me....♪」


 ◇


 And then we will find what we lost
   無くしてしまった事もきっと見つかる

 Angel takes us to the right place
   行くべき場所へ 私を連れて行ってくれる

 Angel wings can take us....
   天使の翼が……


 ◇


新しい主をその身に宿し、ビッグデュオの瞳に光が灯る。
操縦席の中、眼前の円形のモニターに表示されるメッセージ。


   CAST IN THE NAME OF GOD
     我、神の名においてこれを鋳造する

   YE....
     汝……




【渚カヲル 搭乗機体:ビッグデュオ(THE BIG・O)
 パイロット状態:ヘブン状態! ずぶ濡れ
 機体状態:マシンセル寄生 損傷修復中
 現在位置:C-2 海中
 第一行動方針:殺し合いに乗り人を滅ぼす
 最終行動方針:殺し合いに乗り人を滅ぼす】

【一日目 12:00】


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最終更新:2010年04月02日 23:21